黒川紀章設計の美術館と言えば、六本木と乃木坂駅からアクセス便利な国立新美術館を想起する人は多いだろう。
ガラスのカーテンウォールから落ちる影がまるでレースのように美しく、エントランスの吹き抜け空間の流麗さは他に類を見ない。国立新美術館は黒川紀章の遺作とされており、実際開館の年に黒川紀章は亡くなっている。
今回紹介する埼玉県立近代美術館は、大御所建築家黒川紀章が最初に手がけた美術館建築だ。
黒川紀章といえばメタボリズム建築の代名詞とも言える中銀カプセルタワービルがあまりにも有名だが、埼玉県立近代美術館は、中銀カプセルタワービルが竣工した1972年から10年後に竣工している。
この10年の間に黒川紀章は美術館を手がけてはいないということだ。
埼玉県立近代美術館ののち、名古屋市美術館や広島市現代美術館、和歌山県立美術館など多くの公立美術館を手がけている。公立美術館を手がけるということは大御所建築家の仲間入りを果たしたと言ってもいいのではなかろうか。
年齢的にも中銀カプセルタワーの頃はまだ30代だったが、埼玉県立近代美術館竣工時は48歳だ。
ちょうど建築家としての円熟期に突入したと言えるだろう。(40代、50代でも若手建築家と呼ばれたりもするが)
ちなみに埼玉県立近代美術館のある北浦和公園には、まだ中銀カプセルタワービルが存在する頃からカプセルが置かれている。このカプセルは、実際に使われていたカプセルではなく、中銀カプセルタワービル1階に展示されていたモックアップだ。
2011〜2012年に森美術館で開催された「メタボリズムの未来都市展 ― 戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」に出展されたカプセルで、展覧会終了後ビルに戻らずにここへ設置された。
なので実はここに既に10年以上置かれているのだ。
埼玉県立近代美術館には、屋外に2つの象徴的な階段が設置されている。いづれも美術館の動線としては、特に重要ではない。それを証拠にどちらの階段もその先は行き止まりだ。正確には、その先が塞がれている。すなわち通行禁止になのだ。要するに通行できなくてもさして問題にならない場所にあるということだ。
階段としての機能はきちんとある。しかし動線としては、機能していない。そのため、埼玉県立近代美術館に行ってもこの2つの階段の存在さえ気づいていない人ももしかしたらいるかもしれない。
なぜなら企画展、常設展の回遊動線には含まれてない場所にあるからだ。実際は常設展示室と一般展示室からアクセスする場所にあるが。
しかし、階段好きとしては見逃すわけにはいかない。たとえその先に道が続いていないとわかっていても上らずにはいられないのだ。