代官山ヒルサイドテラスは、代官山駅の程近く旧山手通り沿いにA棟からH棟、アネックスA・B棟、ヒルサイドプラザ、ヒルサイドウエストと複数の低層の建物が連なってできた複合施設です。
賃貸・分譲の集合住宅、オフィス、レストランやカフェなどをはじめとする商業施設、様々なイベントや展覧会を開催するレンタルスペースやギャラリースペースなど多種多様な用途で構成されています。
最初のA棟(1967年)から最後に竣工したヒルサイドウエスト(1998年)まで、約30年間に渡る壮大で類まれな計画の設計は槇文彦。ここは槇文彦の代表作の一つでもあります。
筆者にとっても個人的に非常に思い入れの強い場所です。
第1期工事で竣工したB棟▼
朝倉不動産
代官山ヒルサイドテラスのオーナーは、この土地で古くから精米業を営んでいた朝倉家が営む朝倉不動産です。
現社長の父である朝倉誠一郎氏が、1927(昭和2)年東急東横線の開通とともに、代官山駅前の「同潤会代官山アパート」完成をきっかけに代官山、中目黒、恵比寿一帯の朝倉家が所有する土地にアパートを建設し不動産事業を拡大していきました。
いよいよ朝倉家の自宅のある旧山手通りにも集合住宅建設計画が進みます。その時出会ったのが、建築家の槇文彦です。
槇文彦との出会いをきっかけに、朝倉家の土地に対するビジョンが、住宅だけではなく、住民の暮らしを豊かにする店舗やオフィス、緑地を含んだ“街”を形成するというコンセプトに変わりました。
それが「代官山集合住居計画」現在の「代官山ヒルサイドテラス」です。
まずは、その平面図による全貌を見てください。
この図面はA -H棟、アネックスABの配置図面で、ヒルサイドウエストは入っていません。▼
今でこそ代官山付近は都市計画法によって建築物の高さ制限が緩和されていますが、この計画が始まった当初は、高さ最大10メートル以下に制限された第一種住居地域に指定されていました。
そうした規制の中で槙文彦も低層階の棟を設計してきたため、ヒルサイドテラスはいずれの棟も道路を歩く人が圧迫感を感じることのない、3階建てほどの高さに抑えられています。
また、当時は第一種住居地域に指定されていたため、店舗やレストランを開業するために特別な許可を取る必要があったのです。
ヒルサイドテラスA棟B棟
東京都渋谷区猿楽町18−8 MAP
1967年に竣工したA棟B棟は、ヒルサイドテラスの中で最も古く、最も駅に近いアクセスの良い立地です。旧山手通りと八幡通りが交差する代官山交番前の交差点の角に位置し、中目黒へ抜ける目切り坂へ続く場所です。
代官山交番側から見たA棟▼
A棟にあるアートフロントギャラリー。このギャラリー、かつてはヒルサイドギャラリーという名前でした。その頃から現在までギャラリーの名前は変われど企画・運営はアートフロントギャラリーです。▼
以前は、A棟前には歩道橋があり、横断歩道はありませんでした。私も代官山在住・在勤時代にこの歩道橋を何度昇り降りしたことか。
ずっと「不便だな、横断歩道があればいいのに」と思っていたけれど、いざ、撤去となると一抹の寂しさを感じたのは否めません。
歩道橋は1970年に設置され、2019年に撤去されたので、約50年代官山ヒルサイドテラスを静かに見守ってきた存在でした。
歩道橋から見たヒルサイドテラス▼ 2017年に開催された川俣正のインスタレーション「工事中」を開催中の時の写真です。
左側がA棟、右がB棟です。AとBは中庭で緩やかにつながっています。
かつてはA棟にはレンガ屋さん、その上には青田美容室が入っていました。
現在は、レンガ屋さんの場所にB棟のパッションが経営するビストロ&カフェル・コントワール・オクシタン、上の美容室はヴィエルジュに変わりました。▼
A棟の美容室とB棟の間のテラスはフレンチの老舗パッションのテラス席になっています。▼
スキップフロア特有の階段や吹き抜けや踊り場などで構成されたA棟とB棟の間には緑溢れるテラスが設けられています。とても余白の多いゆとりの建築計画です。▼
一番古いA棟とB棟は東京都選定歴史的建造物に指定されています。2003年には、DOCOMOMO JAPAN選定日本におけるモダン・ムーブメントの建築にも選ばれています。
ヒルサイドプラザ
地上は、駐車場で地下にヒルサイドプラザというホールがあります。このタイルの円筒形の建物が地下のヒルサイドプラザへの入り口です。
展示会、クラシックコンサート、シンポジウム、パーティーなどこれまでに多種多様なイベントが開催されてきました。
初めて槇文彦の講演会を聞いたのも確かここだった記憶です。XX年前の話ですが。▼
ヒルサイドテラスC棟
東京都渋谷区猿楽町29−10 MAP
C棟といえば、伝説のお店トムズサンドウィッチですが、2019年に惜しまれつつ閉店。現在その跡地には人気店の洋食KUCHIBUEがあります。KUCHIBUEもまた、食事もデザートもとっても美味しいです。
閉店してしまったトムズサンドウィッチは、なんと2021年から尾道で再開しています。いつか行かなくちゃと思っていますがいつになるかな。
あんまり知られていませんが、C棟の床のデザインはグラフィックデザイナーの故粟津潔によるものです。▼
ピロティから見える緑は、猿楽神社です。▼
右側に少しだけ写っているのが、365日クリスマスグッズを購入できるクリスマスカンパニーです。クリスマスカンパニーとトムズサンドウィッチは、ヒルサイドテラスらしい並びでした。▼
上階はオフィスなど。▼
猿楽塚・猿楽神社
東京都渋谷区猿楽町29−9 MAP
C棟とD棟の間には、渋谷区に現存する古墳であり区指定史跡(文化財)でもある「猿楽塚」と、その上に鎮座する「猿楽神社」があります。
猿楽塚は6~7世紀の円墳とされ、基底部の直径約20メートル、高さ約5メートルとのことですが、発掘調査がおこなわれていないため、詳しいことはわかっていないという、謎大き古墳です。
ヒルサイドテラスに来たら、いつも参拝します。▼
こちらが猿楽塚▼ 古墳や神社まである複合施設ってそうそうないですよね。特に都会では。
ヒルサイドテラスD棟
白いタイルの外壁が爽やかなD棟はE棟と共に1977年に竣工しています。
D棟というと昔からあるのはチェリーテラスです。そのほかのお店は私にとっては最近のお店です。
円を描くステンレス彫刻は故脇田愛次郎「Spiral」1977です。▼
猿楽塚の木漏れ日がタイル壁のD棟に落ちて、こんなに美しい光景に。
建築の直線と曲線の絡みも美しい。▼
旧山手通りの反対側F棟から見たD棟▼
D棟の隣にあるデンマーク大使館も槇文彦設計で、外装がD棟のデザインを踏襲したタイル貼りの建物です。もしかしたらデンマーク大使館は朝倉不動産が自分の土地に建物を建てて貸しているのかもしれません。
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ヒルサイドテラスE棟
E棟は旧山手通りからはかなり奥まった場所にあります。それもそのはずほとんどが住宅とオフィスで、商業施設はありません。
1階にE-LOBBYというレンタルスペースがあるので、ここでイベントがあるときだけ賑わっています。外観がタイルの建物はD棟です。▼
C棟、D棟、E棟の間にある空間。いくら緑が多く敷地にゆとりがあっても朝倉不動産の方針で自動販売機を置いたりはしません。そういう確固たるポリシーがこの場所の価値を上げているのです。▼
ヒルサイドテラスF棟
東京都渋谷区猿楽町18−8 MAP
1992年竣工のF,G,H棟は旧山手通りの反対側に建っています。F棟には店舗の他にヒルサイドカフェを併設したヒルサイドフォーラムというスペースがあり、SDレビューを始め様々な展覧会が開催されいます。
直近だとハタノワタル展が記憶に新しいところです。ちょっと前だと前澤友作コレクション展でロバートインディアナのLOVEがテラスに展示されたのが思い出されます。
他にも色々観てるけれど、多すぎて列挙しようがありません。
F棟はアパレルなどが入っています。光の綺麗な場所です。▼
他の棟と違いF、G、H棟は竣工した頃の記憶があるので、なんとなく今でもヒルサイドテラスの新しい建物と思っていますが、既に30年経っています。がーん。
ヒルサイドフォーラム▼
ヒルサイドフォーラムの入口▼左の水盤の上の作品はマリーナ・アブラモヴイッチの作品です。
アブラモヴイッチ本人もヒルサイドテラスに来たことがあります。
アブラモヴイッチ作品と仲良く並んでいるのは、慶應大学図書館でも槇文彦建築とコラボしている故宇佐美圭司のモザイク作品です。
宇佐美圭司作品は東大生協では廃棄され話題になりましたが、ここでは大切にされています。▼
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ヒルサイドテラスH棟G棟
東京都渋谷区猿楽町18−12 MAP
H棟は新しく代官山にやってきた蔦屋書店と並ぶ場所に建っています。▼
エントランスにあるクリスト&ジャンヌクロードの作品。
今はお二人とも亡くなってしまいましたが、二人ともヒルサイドテラスに来たことがあります。▼
ここもまた街路樹の木漏れ日が美しい▼
規模が小さく店舗もないので、存在感薄めなH棟は、中央奥の建物です。▼
ヒルサイドテラスについて設計者の槇文彦や、ヒルサイドテラスA棟のアートフロントギャラリー創業者で文化功労賞でもある北川フラムが証言するこのような記録集もあります。
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ヒルサイドカフェ
11:00〜19:00 月休
東京都渋谷区猿楽町18−18−8 ヒルサイドテラスF棟 MAPひヒルサイド
F棟のヒルサイドフォーラムと一体化しているカフェです。旧山手通りから奥まっていて往来する人や車を眺めながら休憩できる癒しのスポットです。▼
LCに座ってお茶を飲むこともできます。展覧会によってはこのソファセットが撤去されていることもあります。置いてあるときは座れます。▼
ヒルサイドパントリー
10:00-19:00 水曜定休(祝日の場合は営業)
東京都渋谷区猿楽町18−12 ヒルサイドテラスG棟 B1 MAP
G棟の地下にあるヒルサイドパントリーは、焼きたてパンとサンドイッチ、自家焙煎のコーヒー、様々な厳選食材が揃うフーズショップです。コーヒーやサンドウィッチは、イートインもテイクアウトも可能です。
ヒルサイドウエスト
東京都渋谷区鉢山町13−13 MAP
1998年に竣工したヒルサイドウエストは3つの建物で構成されたヒルサイドテラスで一番新しい建物です。
この中にはヒルサイドテラスを設計した槇文彦の事務所も入っています。
旧山手通り沿いからは一つの建物見えますが、実は奥に広くA ,B,Cの3つの棟で構成されています。
3つの棟はヒルサイドテラス同様に階段やテラスで緩やかにつながっています。▼
この階段は特に好みです。▼
ヒルサイドテラス/ウエストについての詳細は槇文彦自身によるこちらの書籍をどうぞ。
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アネックスA・B
東京都渋谷区猿楽町29−21 MAP
A棟の裏手に向かい合って建つアネックスAB。目切り坂へ降りる坂の入り口に当たります。
これら2つの建築の設計は槇文彦ではなく、故元倉真琴の設計で1985年に竣工しました。
円筒形の方がアネックスA棟です。かつてはアートフロントギャラリーが借りていたこともあります。▼
ガラスブロックの方がアネックスB棟です。元倉さんの事務所スタジオ建築計画はヒルサイドテラス内にあったので、ご本人をよくお見かけしました。
最後に
旧山手通り沿い建物の高さ制限の規制緩和の際、(計画当初は10メートルでしたが、現在旧山手通り沿いの建物は高さ最大20メートル以下に制限へ緩和された)朝倉不動産や住民は、規制を緩和しないで低層のままにしてほしいと嘆願の声を上げたというのです。
不動産業を営む側が高層建築を建てるために規制緩和に向けて働きかけるのが普通ですが、ヒルサイドテラスの場合はなんと逆でした。
このことからもわかるように朝倉不動産は、闇雲に建物を建てて販売するような不動産会社ではありません。率先して豊かな街づくりをする不動産会社なのです。
また、その後2011年にG棟横にできたCCCの蔦屋書店も朝倉不動産のまちづくり理念を理解し、低層建築に倣っています。ですから、今でも代官山の高層建築は同潤会アパートの跡地に2004年にできた代官山アドレスだけに留まっているのです。
30年かけて一人の建築家が一つの街を作り上げるということは、ごく稀なケースです。槇文彦も語っていますが、朝倉不動産というクライアントあってこそのヒルサイドテラスなのです。
代官山ヒルサイドテラスは、槇文彦と朝倉不動産、そしてそこに住む人々による協働でつくり上げた”街”です。
朝倉家が住んでいた旧朝倉家住宅は国の重要文化財です。現在一般公開しています。▼
名建築の名階段▼