国立競技場をはじめとして、国内外に大小様々な建築を手がけ、今や日本を代表する建築家と言っても過言ではない隈研吾。このブログではこれまでに数多くの隈建築を訪問し紹介してきました。その詳細は隈研吾の建築一覧としてまとめていますので参照ください。
今回は、隈研吾事務所に近い南青山の建築2件を紹介します。その物件の間は「ボチボチ通り」という名の小道で繋がっていて、距離は約100m。
しかも外苑前の駅から徒歩3分圏内です。
PRボチボチ通り
1992年命名
「ボチボチ通り」。変わった名前の道路です。
みんながそう呼んでいるうちに定着してしまった例えば「キラー通り」がありますが、この「ボチボチ通り」は地元商店街が名称を公募して決めた、ある意味公式な通り名です。
▲青山通りとキラー通り(外苑西通り)を結ぶ近道になっていて、外苑前駅と南青山方面を行き来する人には便利なのですが、そういう人はあまり多くないでしょう。
実はこのボチボチ通りは笄川の暗渠で、キラー通り(外苑西通り)沿いに流れ天現寺橋で古川に合流します。近道を作ったのではなく、大きな通りを横切る川を暗渠にしたらたまたまショートカットになったのでしょう。
▲青山通り側のボチボチ通り入口です。
車はキラー通り側からの一方通行なのでこちらからは入れません。
▲ボチボチ通りに入ってすぐ見えるのが「梅窓院」の本堂です。
竹林、ルーバーの入った外壁。隈研吾建築だとすぐ分かります。
▲数十m行くと左手には梅窓院の墓地(ぼち)、右手には何やら奇っ怪なビルが見えてきます。
梅窓院の墓地(ぼち)脇を抜けて青山墓地(ぼち)へ至るルートになっているので「ボチボチ通り」と命名したのでしょう。
そしてこの右手のビルが隈研吾の初期の建築「ドーリック南青山」です。
▲キラー通り側からボチボチ通りを見たところ。
左がドーリック南青山、通りの奥の方に梅窓院の本堂が見えます。ボチボチ通り自体の長さは150mくらい。その両端に隈研吾建築があるという贅沢というか珍しい通りです。
そして、ドーリック南青山の竣工が1991年。梅窓院が2003年。このわずか10年ほどの間に隈研吾の設計がガラッと変わってしまったことが分かります。知らなければドーリック南青山と梅窓院が同じ建築家の手によるものとは想像もできません。
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梅窓院
2003年竣工の浄土宗のお寺です。
▲これまで何回か紹介してきた梅窓院。
青山通りから続く竹林のアプローチはいつ見ても見事です。
▲ボチボチ通り側から見た本堂(祖師堂)。
▲こちらは境内側から見た本堂です。
ボチボチ通り側から見るのとはまた違ってすシャープな印象の建築です。
梅窓院や外苑前の建築の詳細はこちらを参照ください▼
基本情報
梅窓院
8:00-19:45 港区南青山2丁目26−38 MAP |
ドーリック南青山
1991年 竣工
ボチボチ通りがキラー通りに交わる角に建つ、ボチボチ通りの南端の建物です。
▲1階と2階はデンマークの家具メーカー、フリッツ・ハンセンのアジアで唯一の直営店。
▲円筒状になっている部分がエレベーターです。
隈研吾のポストモダン期の代表作として再評価されるかもしれません。
▲余計なベランダ、後付(?)の非常階段など、巨匠の若かりし頃を偲ばせます。
▲コインパーキングとドーリック南青山の間の小道がボチボチ通りです。
距離にしてほんの100m、時間にして10年しか離れていないドーリック南青山と梅窓院ですが、とにかくその違いにびっくりです。
この10年の間に隈研吾が何があったのか、それを知ることが隈研吾建築を理解する第一歩になるのでしょうね。
隈研吾の手がけた建築も含む外苑前の建築巡りについては▼
基本情報
ドーリック南青山
港区南青山2丁目27−14 MAP |
青山・表参道の建築巡りをする前に、表参道特集を読んでおこう!
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建築とアートと桜を巡る隈研吾編▼
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