デビュー作のコルゲート建築「幻庵」(1975年)や吉田五十八賞を受賞した「伊豆の長八美術館」(1985年)、日本建築学会賞受賞の「リアス・アーク美術館」(1995年)などで有名な建築家 石山修武(いしやま おさむ)が設計した真言宗豊山派観音寺を早稲田大学に訪問した折に見学してきました。
PRお寺の本堂
馬場下町の交差点から早大南門通りを下ると、大隈講堂に突き当たり、さらにキャンパスの外塀沿いに大隈通り商店街を進むと、大きな折板屋根が見えてきます。どんどん近づいてみてもこの建物が寺院だとわかる人は少ないでしょう。
よく見ると唐突に建っているモノリスのような赤い壁、その壁の前に置かれている壺、大階段に沿う巨大ロケットのような雨樋、折り曲げられた不思議な形の屋根、水玉模様の大階段などなど、不思議な要素が盛り沢山の建築です。
門前の寺号標を見て、はじめて寺院なんだと認識できました。そして、この不思議な建物はお寺の本堂だったのです。
大階段を上がっていくと2階の本堂へ、階段横のピロティを通り抜けると墓地へと続きます。
コンセプトは壮大
観音寺の設計時に石山修武は、敷地の形状が変形多角形で直角の部分が全くないことから、「形なき形」を模索しました。その結果たどりついたテーマが「水」だったのです。
この場所は、密集した街中の盆地のような場所なので、周辺に降った雨が集まる場所でした。さらに、観音寺本尊の十一面観音菩薩は水との縁が深いということもあり、設計のヒントに水の性質を取り入れました。
折板の不思議な形状の屋根は、雨水を受け止め、その雨水の流れをコントロールしながら1箇所に集められる構造になっています。
集められた雨水は、大きなロケットのような雨樋に流れこみ、その流れの先は、モノリスの如く立ちはだかる赤い壁に当たり、更にはその壁を貫いた筒樋を流れて壁の裏に置かれた壺に流れ落ちます。
訪問時にはなかったのですが、この壺に花が生けられていて、天から降った雨水は循環して植物に還るというコンセプトなのです。▼
すごい壮大なストーリー!このストーリーを知ったら是非とも雨の、しかも豪雨の時の様子を見てみたくなりますね。
後日、写真付きでお花が生けてあった情報をいただきました。情報ありがとうございました。それにしてもすごい素敵なお花ですねぇ。▼
PR美術になっちゃったな
「石山君、これは美術になちゃったな」石山修武が師として仰ぐ川合健二が石山修武のデビュー作「幻庵」を見学に行った時にはなった言葉です。
川合健二というのは、丹下健三の建築の設備設計をしていたこともある技術者で、故郷の豊橋に戻って、国際見本市で見たコルゲートシートで自宅をつくろうと思い立ち、巨大な筒型住居をセルフビルドしてしまった驚きの人物です。
川合健二のコルゲート建築や幻庵については、長くなるので置いておいて、前述の「美術になっちゃった」は、決して肯定的な意味合いではありませんでした。
師にそう言わしめた幻庵は、モダニズム建築が否定した装飾を肯定し、本来は汚水が流れる筒の中を美しい絵本のような世界で満たしていたのです。
このような幻庵が石山修武の建築家としてのスタートですから、この観音寺の設計も納得なわけです。
様々な装飾
階段
観音寺にも、石山修武らしい要素がたくさん詰まっています。まずは、この階段。水玉模様のようにランダムな形の大理石が散りばめられています。よく見ると散りばめられた大理石の色が上にいくにつれて白くなっているのがわかります。確かにこの凝りようは美術ですね。▼
PRお寺の本堂に向かう階段とは思えない可愛さです。▼
本堂内は見られませんでしたが、本堂の天井はアルミエンボス板と布によって覆われいて、これまた本堂らしからぬ様子のようです。いつか内部も見学してみたいです。
支柱
屋根と壁の間の支柱は、竣工当時は真っ赤だったようですが、現在は抑えたブラウン系の色に変わっています。竣工時からすでに25年経過していますから、どこかのタイミングで改修した時に、赤からブラウンに変更したのでしょう。
モノリスのようなスタッコの色も竣工時よりも彩度が落ちているように思います。これは単なる経年変化なのか、カラートーンをおさえたのかちょっとわかりませんでした。▼
漆喰壁
墓地へと続くピロティの漆喰壁には、不思議なスリットが入っています。モノリス壁同様とっても色が美しく落ち着く空間になっています。▼
外壁にもランダムなスリットが入っていて、ブラウンに色が変更された支柱も裁縫の下手な人の縫い目のようにランダムなデザインになっています。
打放しのコンクリートがとても綺麗なので、定期的にメンテナンスをしていることがわかります。▼
2階へ続くスロープには木のルーバーで目隠しがされています。ここからの様子もいろいろ普通ではないですね。▼
PR観音寺
真言宗豊山派寺院の観音寺は、慈雲山大悲院と号し、賢栄和尚が開山となり寛文13年(1682年)創建したと言われている寺院です。
御府内八十八ヶ所霊場52番、豊島八十八ヶ所霊場52番、山の手三十三観音霊場14番札所となっていて御朱印をいただくことができるそうです。
その観音寺が石山修武設計の現在の姿になったのは1996年。それ以前がどのような本堂であったのか、またどういう経緯でこの建築になったのかはわかりませんが、思いの外街に馴染んでいたというのが私の印象です。
早稲田大学出身
石山修武は観音寺のお隣にある早稲田大学の出身で、本人は長らく早稲田大学で教鞭をとっていました。2014年まで早稲田大学の教授を務めていたので、観音寺設計時は、通勤がてら?頻繁に現場に通ったのではないでしょうか。
観音寺の場所は、隈研吾がリノベーションした国際文学館村上春樹ライブラリーと隣り合っています。もしも、村上春樹ライブラリーに建築見学で訪問するのなら観音寺も要チェックです。
基本情報
真言宗豊山派観音寺
新宿区西早稲田1丁目7−1 MAP
最寄駅都電荒川線早稲田駅徒歩4分、東京メトロ東西線早稲田駅徒歩7分
村上春樹ライブラリーについてはこちらを参照ください。
早稲田に行くならこちらの建築見学もおすすめです。▼