代官山ヒルサイドテラスは、槇文彦設計の低層の商業・オフィス・住宅からなる複合施設だ。旧山手通り沿いと八幡通りが交差する交差点から、スウェーデン大使館までA棟からE棟までが並び、通りを挟んで反対側にF・G・H棟が並んでいる。
実は、この代官山ヒルサイドテラスのA棟からH棟まで全ての棟が完成するまでなんと30年の歳月がかかっている。その辺りのことはこのブログの「建築家槇文彦と朝倉不動産が30年かけてつくり上げた低層建築の”街” 代官山ヒルサイドテラス」に詳しく書いているので是非読んでいただきたい。
代官山は、都内の実家を出て初めて暮らした街だ。代官山で暮らしたのは数年で、すぐに坂を降りた中目黒に引っ越しをしてしまったものの、職場は代官山だったので何年も通った。だから、我が青春の街であり、今でも思い入れが強い街のひとつとなっている。
1990年代当時の代官山は今よりもずっと大人の街だった。もちろん、代官山アドレスもなければ、蔦屋書店もない。その代わり日本で最初のコンクリート住宅である同潤会アパートがあった。表参道の同潤会は表参道ヒルズとなった今でも一部が保存されているが、代官山の同潤会アパートは跡形もなく壊されてしまった。現在は、代官山アドレスとなっている場所だ。
その同潤会アパートをはじめ、代官山周辺には建築家やデザイナーなどクリエイティブな職業の人々の事務所がたくさんあった。今でもあるだろうが、当時は今のように観光客向けのショップなどはほとんどなく、むしろクリエイティブな人々の事務所の方が多かったような印象だ。代官山の街を歩く人はおしゃれな大人ばかりに見えた。自分が大学を出たばかりの世間知らずだったせいだからだとは思うが、当時の代官山はそんな街だった。
今のようにアパレルショップなんて全くなかったあの頃の代官山にあったアパレルショップはハリウッドランチマーケットとその系列店だけだった。もう店に立ち寄ることはなくなったけれど、店の前を通るたびに、あの頃と同じ場所に今でも健在なのが嬉しい。
しかし、ハリウッドランチマーケットは例外なのかもしれない。あの頃の代官山の代名詞のようなお店は残念ながらいくつか姿を消してしまった。ヒルサイドテラスA棟の美味しいケーキが並んでいたレンガ屋さん、あの独特のフォントは今でもはっきりと覚えている。
ヒルサイドテラスC棟にあったトムス・サンドウィッチは、薄給の自分にはお高いサンドウィッチだったけれど、いつかここのサンドウィッチを躊躇なく食べられるようになりたいと思ったものだ。ちなみにトムス・サンドウィッチは代官山閉店後、尾道に移転して再開している。トムスサンドウィッチがあった場所にはKUCHIBUEという洋食屋さんが入っている。これまたととてつもなく美味しい。
なくなってしまったお店ばかりではない。八幡通りに今でも健在のシェリュイは、私が人生で初めてカヌレを食べたお店だ。90年代後半だったと記憶している。また、もう20年以上経っているのに私には未だに新しいお店としてインプットされているヒルサイドパントリー。オープンした時は、嬉しくて足繁く通ったものだ。地下への階段を踊るように降りて、美味しいパンを購入した。赤い楕円形のロゴを見ると今でも気持ちがあの頃にタイムスリップしてしまう。
代官山の懐かし話ばかり書いてしまったが、まだまだ色々な思い出がそここに残る街、代官山のアイコンとも言える存在である代官山ヒルサイドテラスは、私にとっては思い出深い大切な場所であり心の名建築なのだ。
Instagramのリールは、トムスサンドウィッチが入っていたC棟の階段。床のモザイクデザインは粟津潔によるもの。