千代田区内にあるコンクリートのコンパクトなビル。
規模に関して言えばよく見ないと素通りしてしまうような小さなビルです。
しかし、立ち止まってよく見るとちょっと普通じゃない。そうなんです。
ここはあの軍艦ビルや斜めの家の設計者で狂気の建築家とか異端の建築家と呼ばれた渡邊洋治の自宅兼事務所だったビルです。
現在は、渡邊洋治の模型や図面、資料類などが保管されているらしいのですが、特に人が居住している様子はなさそうです。
でも外観を観察するだけでも随所にらしさが見られます。

渡邊洋治
言わずもがなの建築家ですが、もっとも有名であろう物件は東新宿に聳え立つGUNKAN東新宿こと旧第3スカイビル(のちにニュースカイビル)でしょう。この超個性的なビルについては別の記事を読んでください。
渡邊洋治は新潟県直江津市出身(現在の上越市)元陸軍船舶兵です。生まれたのが1923年なので、2024年の今年は生誕100周年となります。
1983年に60歳で亡くなりました。ですから生誕100年であり、没後40年になるわけです。

渡邊建築事務所ビル兼自邸
ここは渡邊洋治39歳、1962年に竣工したビルです。ちょうど糸魚川善導寺の竣工の翌年です。
ですから、渡邊洋治にとって60歳で亡くなるまでの約20年間にわたり仕事と生活の拠点だったということになります。
狂気の建築家とか異端の建築家とかそのプレゼンテーションの仕方からマジラと呼ばれていたとか色々な逸話がある渡邉洋治ですが、ここでどのような生活を送っっていたのでしょうか。
おそらく寝ても覚めても建築一筋の生活だったのでしょう。

コンクリート打ち放し
このビル、実は竣工時はコンクリート打ち放しで、その後銀色の塗装が施されたようです。剥がれ落ちている箇所も結構あるので、塗装されたのもだいぶ以前のようですが。
数十年前にこの辺りで銀色のビルは、小規模な建築とはいえ目立ったでしょう。
さらに、そのコンクリートの荒々しいマチエールも非常に特徴的です。
ファサードの雰囲気にもしかしたらちょっとだけル・コルビュジエの影響あるかな?
というのも渡邉洋治はル・コルビュジエの日本人弟子の一人、吉阪隆正に師事していたことがあるからです。

バルコニー
そして、小ぶりながらも各階にあるバルコニーも注目したいポイントです。2階のバルコニーには四角い開口部があり、そこから何やら仏像のようなものがこちらを見ています。
きっと、この仏像は60年間この街の移り変わりをこの場所でじっとみつめてきたのでしょうね。
その上の階のバルコニーには家紋のような紋様が施されています。
なんとも不思議です。

窓
開閉できないはめ殺しの窓は全部サッシュなしでコンクリートに直接おさめられています。
また、開閉可能な窓のふちの意匠にもちょっとコルビュジエ感あるかな?
思い立って外観を見に行きましたが、この建築を手がける前に吉阪隆正の元でヴィラ・クゥクゥの図面をひき、この建築を手がけた後にあのGUNKAN東新宿を設計するのですが、流れとしてはどうでしょうか。
まだ言語化できないのでもう少し勉強しまーす。
基本情報
旧渡邉建築事務所
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