谷根千と言われるエリアの千駄木駅の近くにある文京区立森鴎外記念館をご存じだろうか。
私も実はコロナ禍でその存在に気づき、訪問したいリストに入れていた。コロナ禍では、併設のカフェが休業していたりして、終息したら是非訪れたいとずっとその機会を狙っていたのだ。
先日ちょうど、まさに谷根千エリアで開催される彫刻祭のご招待を受けたので、早速帰りに寄ってみた。
ゆるくて長い坂を登ると見えてきたのは、ベージュというかグレーというか、ちょっとピンク味さえ感じられる、見たことのない色味の建物だった。
ここは、軍医であり、評論家・翻訳家である文豪森鴎外が30歳から60歳まで30年を過ごした住居「観潮楼」のあった場所。観潮楼という名前は、なんと!2階にあった鴎外の書斎から遠くに東京湾が見えたことからつけられたというから驚きだ。
この頃、いかに東京の建築が低層であったか、あるいは現代、いかに東京の建築が高層化したかがよくわかる逸話だ。
ちなみに、この観潮楼の前に鴎外が住んでいたのは、後に夏目漱石があの「吾輩は猫である」を書いたとされる「猫の家」だったとか。
猫の家も千駄木に位置し、観潮楼から徒歩7−8分の場所である。現在は、その家屋は姿を消したものの、夏目漱石住居跡(猫の家)の記念碑が建てられている。
記念碑の周りには、かわいい彫像の猫が歩き回っているので余裕があればこちらも散歩がてら見てみるのもいいかもしれない。
肝心な森鴎外記念館の、現在に至るまでの流れを超簡単に説明しよう。
森鴎外住居観潮楼→貸家(火事で半焼)→戦争で全焼→公園→文京区立鴎外記念本郷図書館→本郷図書館鴎外記念室→文京区立森鴎外記念館←イマココ
ちなみに文京区立鴎外記念本郷図書館の設計は谷口良生の父谷口吉郎である。残念ながらこの図書館も姿を消した。
現在の記念館が開館したのは2012年。今から12年前のことだ。しかし、なんともいえない味のある記念館の外壁は経年変化だけでは出せないマチエールだ。
その秘密は、とんでもなく手間がかかっている作業にある。というのも貼ったレンガを職人がひとつひとつ手作業でその表面を削っているのだ。
その根気と時間のかかる手業があるが故に、普通のレンガにはない表情が出ている。このなんともいえないぬくもりと温かみを感じつつも重厚である様は、まるで歴史あるヨーロッパの街並みのような雰囲気を感じるのだ。
というのも設計を担当した陶器二三雄は、自身も鴎外同様にヨーロッパで建築を学んでいる。鴎外はドイツ、陶器はイタリアだ。
ドイツとイタリアを一緒くたにしてはいけないが、若き日に医学と建築を学びにヨーロッパに渡った二人の感性がここ千駄木でシンクロしている。