最近は、女優の鈴木京香さんが私財を投じて購入した名作住宅VILLA COUCOU/ヴィラクゥクゥ(近藤邸)で再脚光を浴び、ヴェネチア・ビエンナーレ第18回国際建築展では吉阪隆正設計による日本館そのものがテーマになるなど今また再評価の声が高い建築家、吉阪隆正が設計した名建築「大学セミナーハウス」をご存知でしょうか。
建築遺産と言われる大学セミナーハウスは、吉阪隆正+U研究室の設計で1965年竣工の「大地に楔を打ちこむ」逆ピラミッド型の大学セミナーハウス本館から1986年竣工の記念館、2013年竣工の食堂ダイニングホールやまゆりなどで構成された宿泊研修施設です。
現存する大学セミナーハウスの建築群を全て見学してきましたので「全部見せます!大学セミナーハウス」特集です。
PR大学セミナーハウスとは
八王子市の野猿峠のバス停から徒歩5分ほどの多摩丘陵にある研修宿泊施設大学セミナーハウスは、1965年に開館しました。提唱者の飯田宗一郎氏の構想に共鳴した国公私立大学の賛同者が設立発起人となり財界の支援によって発足した学生のための教育の場です。
当時、極めて閉鎖的だった日本の大学で、教授と学生、学生と学生、大学と大学などそれそれが相互に交流できる場として開設されました。
現在では普通に使われている「セミナーハウス」という言葉も飯田氏がその理念を表現するために考えた造語です。
飯田氏がモットーとした「思想は高潔に、生活は簡素に」の言葉は今でも本館に掲げられています。▼
吉阪隆正設計
ル・コルビジェの日本人の三人の弟子のうちの一人である吉阪隆正が大学セミナーハウスの設計を担いました。その工事は本館竣工の1期工事から記念館竣工の8期工事まで1965年から1986年まで実に21年に渡ります。
その間、1980年に吉阪隆正は亡くなりますが、没後に竣工した記念館の設計はそれまでも共同で設計を担っていたU研究室によるものです。
吉坂隆正は、村野藤吾の「建築をつくるのは娘を育てるようなものだ。手塩にかけた娘を嫁にやるような気持ちでいつも落成式に出席する。そして、大切に扱ってもらえると安心する」という言葉を借りて、大学セミナーハウスはまさにこの気持ちだと書いています。
また、この言葉をなぞらえて本人は、設計者を母に、施主を父に、建築を子供の成長に例えており、本館の誕生の後に兄弟姉妹がたくさん増えて賑やかになっていったと表現しています。
大学セミナーハウスは、1999年「日本におけるモダン・ムーブメントの建築No.019」として、DOCOMOMO Japanより選定、2017年3月には「東京都選定歴史的建造物」にも選定されています。
吉阪隆正の代表作の一つ”吉坂隆正設計 アンデスに沈む夕日色の壁が美しい 語学学校「アテネフランセ」”
についての記事はこちらを参照ください。▼
また吉阪隆正の建築に関する書籍はいくつも出ていて今もAmazonから簡単に購入することができます。
今回この記事を書くに当たって読んだセミナーハウスの本(左)は、現地訪問の際に受付で購入してきたのですが普通にAmazonでも売っていたんですね。
編者の齋藤祐子さんはU研究所のOBで、50周年事業のダイニングホールやまゆりの設計にも携わっています。
興味のある方はぜひどうぞ。買ってから行くか、行ってから買うか、さあどっち?
PR
1期工事
設計開始1962年 施工期間1963年ー1965年 施工1−8期まで清水建設
●大学セミナーハウス本館
B1階、1階、2階、3階、4階、M4階までの6層で構成されています。見ての通り上に行くほど床面積が広い、なんとも奇妙な建物です。
大学生セミナーハウスに到着して、一番最初に目に入るのが、この本館です。「大地に楔を打ち込む」と称される、実に個性的な逆ピラミッド型の建物は大学セミナーハウスのアイコンであり象徴です。
本館がこの形になったのは、ピロティのあるピラミッド型の模型を真ん中にディスカッションしていた時にその模型をヒョイと逆さにしたのが始まりです。吉阪隆正は後に「その形ができてから決心するまで1週間かかった」と語っています。
写真ではよく見ていましたが、実際に現地に赴きその姿を目の前にすると、その圧倒的な存在感にひれ伏します。
これは、実物を見学して本当によかった。
また、本館だけは内部見学もできたので黄色いブリッジを渡ったり、斜めの窓から外の眺めを見たりすることができました。
その雄大な大学セミナーハウス本館の様子は動画でじっくり参照ください。▼
現在、後世にこの貴重な建築を残すため、セミナーハウスの本館の維持費及び修復費等のための寄付を行なっています。
これはクラウドファンディングではなく寄付です。
(寄付募集期間2023年8月31日まで)
興味のある方はこちらから!→建築遺産「大学セミナーハウス本館」保全のための寄付 (終了しました)
目標金額の125万円を大きく上回る2,162,846円の寄付が集まったようです。
●中央セミナー室
1階、2階の2層
大きな屋根が目深に被った三角帽子のような形状のデザインのヒントは民家です。ピラミッド型のセミナー室の内部は、トップライトからの光が落ちるように設計されています。残念ながら本館以外は内部見学ができなかったので、そのトップライトからの荘厳な光の姿を見ることはかないませんでした。
このブログでも紹介しましたが、目的も機能のない紀尾井清堂を設計した内藤廣は吉坂隆正の教え子ですが、紀尾井清堂の印象的なトップライトに通じるものを感じました。中央セミナー室の中は見てませんけれど。
本館以外の建築については外観の見学になりますが、以下動画で詳細を参照できます。▼
●ユニットハウス
延床面積14.39m2のユニットが100棟とセミナー室が7棟
竣工時は7群から構成され合計100棟のユニットハウスがあり、1群ごとにセミナー室が1つあったので7つのセミナー室がありました。
コーナーがアールになっているのでふんわりとした印象のユニットは、コストを抑えるため合板パネルを組み立てたプレハブ構造です。
しかし、現在はユニットハウスの大半が取り壊され、宿泊施設としての利用はされていません。残っている2つのセミナー室だけが現役です。
竣工時のユニット100棟の風景は圧巻だったでしょうね。当時の写真を見ると大勢の学生が集っている様子が楽しそうです。
PR2期工事
設計開始1966年5月 施工期間 1966年11月ー1967年7月
●構堂・図書館
本館とブリッジでつながる講堂と図書館の2つの屋根はシェル構造です。ここにきて一番目を引くのは鉄筋の手すりのような柵のデザインです。
私は、この可愛らしい丸い形が小鳥のシルエットをデフォルメしたものだと思い、たくさんの小鳥たちが向き合って囀る楽しげな様子だと思いました。なんて楽しくて可愛い手すりのデザインなんだろう!と感激したのですが、帰宅して本を読むとセミナーハウスのマークになっている7つの葉のある木のマークの葉っぱの形からデザインされたものでした。いずれにしても、講堂・図書館以外でも見受けられるこの柵のデザインは秀逸です。
3期工事
設計開始1967年11月 施工期間1968年4月−12月
3期工事では、松下館とテニスコートが竣工しましたが、テニスコートは現存しません。
●松下館
名前でわかる通り、松下幸之助の寄贈によって竣工した建物です。円錐型シェル構造の連続屋根の2階建の宿泊施設です。この3期工事まで1期工事の本館や中央セミナー室などのデザインの影響下にあった建築だそうです。
また、この松下館の完成をもってセミナーハウスは初期の構想を成就し、完成を見たとされています。
4・5期工事
設計開始1968年12月 施工期間1969年9月ー1970年5月
茅橋もこの期間に竣工しましたが、現存しません。
●長期館
長期滞在グループや社会人の研修のための施設として誕生しました。これまでは自然に溶け込むデザインをモットーとしていましたが、こちらは、都市化されたデザインです。この二つの施設の谷間に茅橋という名の橋が架けられましたが、残念ながら近年老朽化により取り壊されたため現存しません。
個人的には宿泊するならここがいいなと思っていましたが、調べてみたら15名以上の1棟貸しかしていませんでした。残念!
●野外ステージ
記念館と松下館の間にあるステージです。訪問時は枯れ葉が多くベンチも埋もれ気味の状態でした。季節の良い時は、ここでライブとかやったらものすごく気持ち良さそうです。▼
PR6期工事
設計開始1973年7月 施工期間1974年9月ー1975年6月
6期では大学院セミナーと共に遠来荘という近くの築100年の茅葺き屋根の民家を移築しましたが現存しません。
●大学院セミナー室
橋のように架けられたコンクリートの人工土地の上に鉄骨造で建てられた1階、B1階のセミナー室です。70年代に計画、施工された建築らしくこの建物はとても現代的に感じました。
7期工事
設計期間1974年8月 施工期間1977年8月ー1978年3月
●国際館
各国からの留学生を受け入れる施設として、国際交流の場として、長期館に接して建てられ、長期館と合わせて60人収容の国際セミナー村が完成しました。また、茅橋の下には池が作られ竣工時はアヒルや鯉が泳いでいたそうですが、現在はその池もかなり寂しい状態になっていました。
●交友館
キリンビールの寄贈によって建てられた交友館は、別名キリン館です。浴室と管理室の屋上に鉄骨で増築した部分にラウンジがありますが、見学者は入れません。
このラウンジからの日没の富士山がとっても綺麗だそうです。それを見るためにやっぱり一度宿泊してみようかなぁ。
ここまでが吉坂隆正存命中の計画です。吉坂隆正は7期工事の終了の3年後1980年12月に急逝します。
●一福亭は、記念館前の東屋ですが、機能としては喫煙所です。
8期工事
設計期間1986年3月 施工期間1988年10月ー1989年7月
●記念館
すでに吉坂隆正は亡くなっているので記念館の設計はU研究室による設計です。竣工時の名称はインターナショナル・ロッジ 開館20周年記念館です。
この記念館も葉っぱの手摺りが多用されていてとても楽しい。階段の蹴上の模様も注目です。▼
PR50周年事業
●ダイニングホールやまゆり
設計期間2013年7月 施工期間2016年3月ー11月
設計 七月工房+サイト+アトリエ海 施工 相羽建設
開館50周年記念事業として建てられた食堂です。設計は元U研究室のスタッフによるもの。
超個性的なコンクリート建築でスタートしたセミナーハウスの50周年は、地域の職人との協働で生まれた多摩産材の杉を使った木造建築です。
斜面にコンクリートの人工土地に建てた1階の平家です。
その他施設
●さくら館と留学生会館
留学生会館に関しては設計者及び竣工時期も不明です。
さくら館は、2006年にダイワハウスの下請け業者による設計で竣工したことがわかりました。この建築にはU研究室は関わっていないようです。
当初の計画には関わっていたようですが、保存しながら進めるためには工期が長くかかることを想定していました。しかし、セミナーハウス側は、別業者に依頼し半年の工期で設計施工することを決定しました。
しかも、敷地に対する容積率を遵守しつつ、この新規の建物を短い工期で建てるために、多くのユニットハウスを解体することを選択したのです。
この残念な事件については、「何の変哲もないRC造の建物の姿は、当初の大学セミナーハウスの思想が継承されているとはいえないことは明らか」と有識者からは厳しい意見が出たようです。
時間と共に各々の担当者が変わり、利用者や要望も変わっていき、このようなことになってしまったのかもしれません。
PRさまざまなディティール
大学セミナーハウスで最初に出迎えてくれるのは、この眼のレリーフです。ちょっと怖い。▼
シンボルマークの七枚の葉は創建当時の7つの宿舎群から来ています。いろんなところにこのマークがありますよ。▼
フォントがアテネフランセの壁にも使われているコルビジェが多用していたステンシル文字の字体ですね。▼
鉄筋のドア押し手のデザインも葉っぱのデザインです。▼
窓枠も扉の周囲もみんな斜め▼
グレーチングのデザインも凝ってる!▼
小屋が飛び出しているような出窓が個性的▼
外階段が全部トマソン!?▼
PR見学について
事前に問い合わせたところ、平日でも土日祝日でもセミナーハウスが開業している時は見学可能だそうです。時間は9時から16時くらいでという返答でした。
到着したら本館1階の受付に見学の旨伝えます。ルールを守るという書類に連絡先を記入すればそれで終了です。
本館以外は中に入ることは不可で、外観のみの見学です。また、「人を写り込ませるのもNGです」と言われましたが、写り込ませたくても誰もいませんでした。
広い敷地に15以上の建築が点在しているので、結構時間がかかります。また山道のようなところを歩くので靴もそれ相応のものを履いていった方がいいです。
近くにコンビニもありません。飲み物の自動販売機は施設内に複数ありますが、食堂は宿泊者に対して完全事前予約制なので、食事もすませていったほうがいいです。
50台分の無料の駐車場もあります。
最後に
真冬という季節と全てのコミニュケーションが制限されているコロナ禍ということもあり、活発なコミニュケーションのために開設されたセミナーハウス内は、はっきり言って寂れてしまっていました。
東京都現代美術館で開催された吉坂隆正展のアイキャッチ画像は、セミナーハウス本館の写真です。この展覧会が開催されたことで、再びこのセミナーハウスが注目され、人の往来と活気が少しづつ戻って来たのではないでしょうか。
展覧会は、運営側にとっても貴重な建築なんだという意識を強め、さくら館のような事件の再発につながると願っています。
吉坂隆正展 ひげから地球へ、パノラみる 2022年3月19日(土)-6月19日(日) 東京都現代美術館(会期終了)
基本情報
東京都八王子市下柚木1987−1 MAP
吉阪隆正の他の記事▼
PR