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解体寸前 奇跡の出会いで救われた 吉村順三 最小の作品 「仙石原の家」


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記事の評価

箱根の仙石原に吉村順三が手がけた最小作品である別荘「仙石原の家」があるのをご存知でしょうか。幸運にもこの吉村順三の最小作品を見学することができたのでレポートします。

私が、なぜこの建築の存在を知ったかというと、何気なく見ていたSNSにこの建築のアカウント「吉村順三 仙石原の家 1966改め1969」の投稿が流れてきて、目に止まったことがきっかけでした。

吉村順三設計 最小の作品 《仙石原の家》1969年 写真:建築とアートを巡る

吉村順三建築との出会い

ある日、流れてきたSNSの投稿に目が止まり、「この建築、是非見てみたい!」とそのアカウントを辿っていったらクラウドファンディングのページにたどり着きました。

それは、壊れてしまった吉村順三建築を竣工時の状態に戻すためのクラウドファンディングでした。詳細にそのページを読むと、現在この建築のオーナーで管理人をされている辻林さんと「仙石原の家」との奇跡の出会いのエピソードが書かれていました。

これがまるで映画のような話なのです。現在、クラウドファンディングは終了しましたが、辻林さんと吉村建築との出会いや改修の様子を綴った活動報告を読むことができるので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

私はこのクラウドファンディングのページの「プロジェクト立ち上げの背景」を読んで、その背景と管理人さんの行動力にすっかり魅了されてしまったのです。

管理人の辻林さん 吉村順三設計 最小の作品 《仙石原の家》1969年 写真:建築とアートを巡る

箱根 仙石原の家へ

そして、先日ついに「仙石原の家」を見学することができました。もちろん、出迎えてくれたのはオーナーであり管理人の辻林さんです。

「最小の作品」ということは知っていたのですが、現地に着くと確かに家は小さいけれど、その敷地はかなり広くて驚きました。

辻林さんの話によると最初に訪れた時は、敷地内は雑草が生い茂り、庭の中央にある家の姿はほとんど見えないくらい藪だったそうです。

吉村順三設計 最小の作品 《仙石原の家》1969年 写真:建築とアートを巡る

▲なんてかわいいんでしょう!!!写真で見ていたより実物は本当にかわいい。上の写真のバルコニーの手すりは新しく付け替えられたものです。

実は、外壁も当初は板張りだったということが、現存する当時の図面でわかっているそうです。現在の状態でもこんなにかわいいのに板張りに戻ったら!と思うと、竣工した当時のこの別荘の佇まいの可愛さったらないでしょう。

窓からちょっこり見える半円の照明は、唯一既存の照明メーカーのもので、半円照明以外は吉村順三デザインによるオリジナルなんだそうです。

和室の照明 吉村順三設計 最小の作品 《仙石原の家》1969年 写真:建築とアートを巡る

仙石原の家の内観

中に入るとこれがまたかわいい!そして、外から見る印象よりも内部は広かった!

というのも窓が広くとられていて、その窓からは周囲の美しい緑が目に飛び込んでくるから全然小ささを感じません。

内部にあるテーブルや椅子、椅子に置かれているオリジナルファブリックまで当時のものだというから驚きです。

1969年竣工(1966年竣工と記録されていたけれど、実は1969年だったというエピソードはこちらから)ですから、もう55年経過しているのに、家具もキッチンもとても綺麗でした。

ずっと大切にされていたということがよくわかります。

暖炉 吉村順三設計 最小の作品 《仙石原の家》1969年 写真:建築とアートを巡る

お部屋の中で一際目をひくのが、まるで彫刻のような黒い暖炉です。これも吉村順三がデザインしたオリジナルの暖炉で、お施主さんが吉村順三夫人の親戚ということで吉村順三からのプレゼントなんだそうです。


名建築を後世にのこすという事

見学を終えて、吉村順三建築ももちろん素晴らしかったのですが、個人的には俄然オーナーであり管理人の辻林さんに興味津々です。

辻林さんは東京大学の建築科を卒業されており、あの世界的建築家安藤忠雄の教え子なんだそうです。

学生時代に恩師安藤忠雄から教わったことを積み重ねていったらこのような出会いに繋がったそうです。

ここでは割愛しますが、辻林さんはほかにもたくさんエピソードをお持ちで吉村建築にも管理人さんにも魅せられてしまいました。

話が脱線しますが先日、青山のポーラに移築された土浦亀城邸の見学会で聞いた話です。土浦夫妻には子供がなく、自邸で一緒に生活を共にしていたお手伝いさんに家を相続したのです。

土浦夫妻に長く支えていたそのお手伝いさんは、自邸の建築的価値も十分に理解しており、大切に住み続けていたとか。

夫妻が亡くなり相続してからも尚、ずっと寝室は女中部屋のまま、さらに家だけでなく夫妻の家財道具一式全てを20年間大切に守ってきたのです。土浦亀城がお手伝いさんを選んでバトンを渡したから、まるで夫妻が今も暮らしているかのような状態で我々が見学することができるという話でした。

吉村順三はすでに亡くなっていますが、辻林さんと吉村建築の出会いは、映画のような偶然が重なっているように見えるけれど、実は全部必然で、土浦亀城がお手伝いさんを選んだように、吉村順三が辻林さんを選んだのではないかと思うのです。

神がかった話になってしまいましたが、辻林さんはそう思わせる何かを持っている方なのです。

シャケ君 吉村順三設計 最小の作品 《仙石原の家》1969年 写真:建築とアートを巡る

名建築が時代を超えて残り続けるにはそれを守る人がいてこそという事を実感した日でした。

今後も「仙石原の家」に注目していきたいと思います。

Casa BRUTUS2024年 11月号には「仙石原の家」の記事と辻林さんの恩師安藤忠雄が手がけた大阪のVSの記事が仲良く並んで掲載されています▼ 

基本情報

吉村順三 仙石原の家

公式Instagram


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