「芸術は爆発だ!」でお馴染みの芸術家岡本太郎が1996年に84歳で亡くなるまで42年間過ごした場所が、現在岡本太郎記念館として一般に公開しているのをご存知でしょうか。
記念館の建物は、岡本太郎のアトリエ兼住居だったもので、ル・コルビジェの日本人の3人の弟子の1人である坂倉準三が設計しています。そんな場所ですから、美術好き、アート好き、岡本太郎好きは当然のこと、建築好きにもたまらない場所なのです。
更に、立体作品が贅沢に配されたお庭とそんな庭を眺められるカフェも併設されており、小さいながらも満足度の高い個人美術館です。
ここは、岡本太郎がぎっしり詰まったまさに爆発空間、都会のパワースポットなのです。
PR岡本太郎の魂が宿る場所
南青山にある岡本太郎記念館は、1998年5月7日に開館しました。それは太郎没後わずか2年後のことです。
この場所が、没後2年で記念館として再生し、一般公開に漕ぎ着けたのは、太郎が生前からこの場所を記念館にすることを望んでいたことと、それを実現するために奔走した戸籍上の養女でありパートナーの岡本敏子の存在があったからです。
1996年1月7日太郎は亡くなりましたが、南青山のこの場所で毎日精力的に大きなモニュメントの制作や原稿の口述を続け、命尽きるまで創造の意欲が衰えることはありませんでした。
このアトリエでは、太郎の代名詞とも言える「太陽の塔」をはじめとして、数えきれないほどの太郎作品が世に送り出されました。
42年という歳月を過ごした岡本太郎記念館の、あらゆるところで太郎の芸術家としての痕跡や息吹を感じることができます。
住居兼アトリエから記念館へ
南青山の記念館は、岡本太郎が画家であり、漫画家、文筆家として活躍した父岡本一平から相続した場所です。生前から自宅兼アトリエおよび自己の所有する資産の大半を拠出して“現代芸術”の振興を目的とする財団法人の設立を計画していましたが、志半ばにして亡くなりました。
その遺志を引き継いだのがパートナーであり養女の岡本敏子です。
太郎没後、岡本敏子は、建築家坂倉準三が設計を手がけた旧館はそのままに、隣接する木造2階建ての書斎/彫刻アトリエを新たに展示棟として建て替えました。
そして、太郎が計画していた公益財団法人岡本太郎記念現代芸術振興財団を設立し、財団が運営する公的なミュージアムとして岡本太郎記念館を広く一般公開したのです。
青山の記念館開館の翌年には、太郎の母かの子の出身地である川崎市生田緑地に川崎市岡本太郎美術館も開館します。
岡本太郎とともに生き、太郎の遺志を引き継いだ岡本敏子も2005年に急逝してしまいました。現在は、岡本敏子の甥である平野暁臣が岡本太郎記念館の館長として太郎とそして敏子の遺志を引き継ぎ記念館を守っています。
太郎の庭
記念館に入るとそこには、南青山という流行の最先端のおしゃれエリアとは思えない風景が広がります。決して広い庭ではありませんが、芭蕉やシダ類や雑草が自然のままに生い茂り、その中に太郎の立体作品が点在しています。
まさにそれは自然と共生する彫刻の姿です。
▲所狭しと太郎の立体作品が置かれています。
左の白いのは「母の塔」、右のブロンズ色は「若い太陽」真ん中の鐘は「梵鐘・歓喜」、手前の後頭部が見えているのは「河童像」です。
▲坂倉準三の設計したアトリエの2階ベランダからじっと覗き込むのは「太陽の塔」です。
東京都美術館など全国を巡回した史上最大のTARO展の時は、出張中で不在でしたが、展覧会も終わり元の位置に戻ってきました。
やっぱりここにこの太陽の塔がいないと寂しいです。
▲ジャングルのようにシダが生えているその隙間にもたくさんの作品が無造作に置かれています。
左の黒いのが「乙女」、シダの後方にある白いのが「樹人」、シダと一体化しているように見える下の方にある黒いのが可愛がっていたカラスのカァ公がモデル?の「鳥」、そして顔が右を向いている白いのが「動物」です。
▲庭にある立体作品の中で一番愛嬌があって可愛いくて人気があるのがこの「犬の植木鉢」です。
この作品は、とっても可愛いポーチにもなっているので、購入すれば持ち歩くことができます。
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太郎のサロン
さて、庭を見たら早速中へ、入館料を払って最初に目にするのがサロンです。応接や打ち合わせに使われていたスペースです。
建築家の坂倉準三は太郎の求めに応じて、ブロックを積んだ壁の上に凸レンズ形の屋根をのせたユニークな建物を作りました。
サロン内部を見ると、ブロックが積み上がった建物であることがよくわかります。
▲写真右の「生命の樹」はメキシコから持ち帰ってきたものですが、それ以外は全部太郎のデザインであり、作品です。太郎と敏子さんの写真が優しく微笑んで来館者を迎えてくれます。
その背後には、大きな窓から生い茂った緑が綺麗です。都会にいることを忘れさせてくれる空間です。
残念ながらサロンの内部に立ち入ることはできません。しかし、廊下から眺めるだけでも隅から隅まで太郎一色の濃厚な空間なので圧倒されてしまいます。
▲写真だけでなく、本人もお出迎えしてくれます。なんとこのマネキン、太郎本人がシリコンに埋まり型取りして制作されたものなので、本人そのものなんです。
今にも「芸術は爆発だ!」と言い出しそうです。
▲太郎マネキンは、季節ごとに衣装がえもするので、リピーターにとってはここを訪れる楽しみの一つです。
これはパナマ帽をかぶった夏の装いの太郎です。
太郎のアトリエ
この記念館で最も太郎な場所はやっぱり長い時間を過ごしたであろうアトリエです。
1954年以降の太郎の作品はすべてここから生まれたのです。まさに太郎の創造の源です。
▲天井の高いアトリエの棚には、びっしりキャンバスが収まっています。
▲床に飛び散った絵の具の跡やフローリングの傷の一つ一つなど全てが岡本太郎の痕跡です。
▲アトリエのテーブル上の道具類など、すべてが当時のまま。
まるで冷凍保存されたかのようなアトリエ空間を見ていると、奥から何の気なしに太郎がやってきて、当たり前のように絵の続きを描き始めるような気配を感じます。
ここで、太郎の魂と触れ合うことで、太郎の世界の深淵へと導かれます。
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二つの展示室
2階の展示室は、記念館にするために建て替えられたスペースで2部屋あります。
ここでは、企画展ごとに展示内容や見せ方が変わります。
このブログでも取り上げた「岡本太郎の1世紀」展などその時々で、版画やパブリックアート、東北、縄文などテーマに沿った岡本太郎の展覧会を開催しています。
岡本太郎展が中心ですが、過去には河口洋一郎や館鼻則孝、Chim↑Pomの展覧会を開催しています。
▲記念館のアトリエやサロンで太郎の魂と対話したら、2つの展示室で太郎の作品からパワーをもらいましょう。
▲たくさんの太陽の塔が並ぶ様は、他では見られない風景です。これらマケットは繰り返し制作され、太陽の塔完成までのプロセスです。
▲第2展示室は、1階ホール上空に架けられたブリッジを渡った先にあります。
階下にあるのは太郎グッズがたくさん並ぶミュージアムショップです。
カフェ
エネルギーに満ち溢れた芸術家岡本太郎の軌跡を堪能したら、ジャングルのような自然のままの庭を眺めながらカフェで一休みです。
▲カフェa Piece of Cake/ア・ピース・オブ・ケイクは、記念館の入場料を支払わずにカフェだけの利用も可能です。
その場合は、庭を歩いたりすることはできません。眺めるだけです。ですからここまできたら、記念館に入らないともったいないですね。
▲カフェを運営するのは「SASSER(焼菓子工房サッセ)」や骨董通りのパンケーキ店APOCを主宰する大川雅子です。
ですから、ケーキやスイーツの味は保証されています。
見逃しがちなポイント
行きでも帰りでもいいのですが、必ず見てほしいところ、外構の見逃しがちなポイントを2箇所ご紹介します。
▲記念館を出て裏側に回ったところにある門扉にも太郎のアイアンワークが施されています。
赤と黒で表現され、情熱的でありながら、とっても可愛いのでこれは見逃さないでほしい。
▲記念館のブロック塀です。
ここには岡本太郎の作品「殺すな」から引用した「殺すな」の文字が書かれていましたが、すっかり消えてしまいました。もうほとんど読めませんね。
ここに「殺すな」を書いたのは、あのChim↑Pomチンポム(現在はChim↑Pom from Smappa!Group)です。2013年に開催された岡本太郎とアーティスト集団Chim↑Pom(チンポム)によるコラボレーション企画展「PAVILION」の時です。
ですからもう10年も前です。そりゃ消えちゃいますね。
Chim↑Pomと言えば渋谷駅に恒久設置された岡本太郎の大作「明日の神話」へ福島第一原発の爆発の絵《LEVEL7 feat.明日の神話》を付け足した事件は有名です。
この事件は、太郎が生きていたら喜びそうな出来事でした。
「殺すな」の文字同様、もうすでに撤去されてChim↑Pomの作品はないけれど、渋谷駅の「明日の神話」については動画を参照ください。▼
表参道駅から徒歩圏内にある岡本太郎記念館は、まさに都会のパワースポットです。
ここに来れば太郎の魂と対話し、太郎の作品からパワーをもらうことができます。
太郎が長い時間を過ごした場所なので記念館の全ての場所で濃厚な空気が漂っています。
美術館としては規模は小さいけれど、とっても濃い空間なので満足度が高い記念館です。
年に一度は訪れたいですね。
基本情報
岡本太郎記念館
10:00~18:00 火曜休館 一般¥650、小学生¥300 港区南青山6丁目1−19 MAP アクセス:東京メトロ千代田線、半蔵門線、銀座線表参道駅より徒歩約8分 |