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イサム・ノグチ 発見の道 東京都美術館


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再開

東京都美術館で開催中のイサムノグチ「発見の道」4/24から始まったのですが、たった1日で緊急事態宣言の発令により臨時休館となってしまい1ヶ月以上お預けをくらっておりました。6/1から再開されて、早速行ってきました。

展覧会の様子はこちらを参照ください。牟礼に設置されている遊具や今回の出品作品が野外に設置されている様子などが見られます。

撮影について

展覧会は3つの会場に分かれています。第1章、第2章の会場内の写真撮影は可能ですが、動画はNGです。最後の第3章は写真撮影禁止です。▼

イサム・ノグチ 発見の道 東京都美術館 イサム・ノグチ 発見の道 東京都美術館

あかり

イサム・ノグチは35年かけて200種類以上ものさまざまな形や大きさの「あかり」を生み出しました。イサム・ノグチをよく知らなくてもこの照明のシリーズを目にしたことがある人は多いのではないでしょうか。今回展覧会場に入って最初に目に飛び込んでくるのはこの「あかり」のインスタレーションです。

会場には150灯のあかりが第1章の会場の中央に展示されていて、時折消灯して、ゆっくり点灯を繰り返します。

会場の天井から吊り下げられている「あかり」▼

イサム・ノグチ 発見の道 東京都美術館

消灯している時の様子です。▼

イサム・ノグチ 発見の道 東京都美術館

「あかり」のシリーズはは第2章にも展示されています。

イサム・ノグチ 発見の道 東京都美術館 あかり

山口淑子

この作品は第1章に展示されている「淑子さん」です。イサムノグチの元妻で女優の山口淑子がモデルの作品です。

イサムと山口淑子は互いに共通する悩みを持ち合わせていました。イサムは日本人とアメリカ人の両親の元、常に二つの祖国で揺れ動くアイデンティティの葛藤で苦悩していました。山口淑子は日本人でありながら、映画女優として宣伝の為に李香蘭という中国名を名乗ることを強制され、日本人と中国人の狭間で生きなければならなかった事情が2人の距離を縮めたと言われています。

この作品は1951年から1956年の5年間の結婚生活の初期の頃に制作されたものです。▼

イサム・ノグチ 発見の道 東京都美術館 淑子さん

フリーダ・カーロ

イサムは山口淑子と結婚するずっと以前、1936年35歳の時にメキシコに滞在しています。その時にディエゴ・リベラを通じてフリーダ・カーロと出会い急接近します。それは2人の共通するルーツにありました。フリーダは父親がドイツから来たハンガリー系ユダヤ人のカメラマンで、母親がメキシコのインディヘナでした。イサムは、父親は日本人の詩人で、母親はアメリカンインディアンの血を引くアイルランド系アメリカ人です。この時も二つの祖国を持つもの同士惹かれあったわけです。フリーダは二人の家を探そうとイサムに持ちかけたと言われています。ただ、すぐに二人の関係がディエゴに発覚してしまい、イサムはメキシコを後にするのでした。

山口淑子にしてもフリーダにしても、2つの祖国の狭間で揺れ動くアイデンティティの葛藤を身を持って理解しあうということがイサムの恋愛のポイントだったのかもしれません。特にイサムは戦争という自分のルーツが引き裂かれる時代に生きなければならなかったから尚更です。

イサムノグチ庭園美術館

展覧会を見に行って改めて牟礼のイサムノグチ庭園美術館にまた行きたくなりました。今回牟礼からもたくさん作品が来ていましたが、やっぱりあの場所でみる作品は別格です。

今回ブログを書くにあたってイサムノグチ庭園美術館のHPをチェックしたら、3年前には往復ハガキでの申込しか予約の方法がなかったのですが、なんと!FAXとメールも可能になっています。すごい!

イサムノグチ庭園美術館内は写真撮影禁止なので外からの写真です。▼

イサムノグチ 庭園美術館

軽井沢のセゾン現代美術館には屋外にノグチの作品があります。この作品はEDがあるので同じ作品が「発見の道」にも出品されていました。もっと近くだと慶應義塾大学の三田キャンパスにも作品があるのでまた散歩がてら行ってみよう。

イサム・ノグチ 発見の道

東京都美術館  日時指定予約制

2021年4月24日(土)~8月29日(日) 9:30-17:30   月休

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