清家清(せいけ・きよし)が設計した自邸で国の登録有形文化財に指定されている「私の家」の見学に行ってきました。
清家清の代表作は、登録有形文化財指定の「森博士の家」や「斉藤助教授の家」など都市型の個人邸の傑作を数多く遺した昭和を代表する建築家の一人です。
また、建築家という職業を世間に印象付けたネスカフェゴールドブレンドの「違いがわかる男」のCM出演や、自宅の庭に旧国鉄の車掌車「ワフ29500形」の実物を設置していたため、鉄道好きな鉄ちゃんとして深夜番組「タモリ倶楽部」出演するなど、茶目っ気のある多彩な人物でもありました。
そんな清家清が家族と共に16年間過ごした自邸「私の家」の見学についてレポートします。
とにかく、写真でしか見たことがなかった「私の家」の実際の空間に身を置くことができて感無量!
尚、「私の家」は、SNSおよびwebでの写真公開が禁止されているため現地の写真の掲載はありません。

▲移動畳の側面は外側に向かってテーパーがかかっているので浮遊感があります。最初の移動畳はテーパーがかかってないそうです。
清家清自邸「私の家」
1954年(昭和29年)竣工、1979年(昭和52年)増改築
建築家の清家清による設計
資料によると初期の図面には「老教授の家」と記されており、清家清の父で機械工学者の清家正のための家だったようです。
しかし、最終的に清家清本人が家族と住むことになり、「私の家」となりました。最初は当時東京工業大学助教授だった清家清とその夫人、そして長女、長男の4人でしたが、のちに次男次女が誕生し6人家族で住むこととなります。

立地は大田区雪谷の閑静な住宅地、清家清の両親が住む家の裏庭に建てられました。
のちに同敷地内に「続私の家」を建設し、両親と6人家族が二つの家を行ったり来たりしながら生活していたそうです。
さらに、「続私の家」の隣には「倅の家」を建て長男家族が暮らしました。
現在も「私の家」とその前の庭を囲むように「続私の家」、「倅の家」が並んで建っています。さながら清家清設計の住宅博覧会状態とも言えます。
「私の家」はその後、長女ゆりさんとその夫で清家清の教え子の建築家で東京工業大学名誉教授の八木幸二家族が居住します。長女夫婦は現在は「続私の家」にお住まいで、見学会の時も少しだけお話をしに来てくれました。
ゆりさんは、子ども時代に16年間、結婚後に17年間トータル33年間子どもとしても親としても「私の家」にお住まいになられた、いわば「私の家」の生き証人であり、エキスパートです。

▲左に四角く彫り込まれているところは竣工時は子供用のプールだった場所
緩やかに繋がったワンルーム「私の家」
いろいろな書籍や資料などで図面が出ているのでよくご存知の方も多いでしょう。
5m×10mという「私の家」の大きさは、当時金融公庫からマイホームの資金を借りるための条件内だった面積です。
リビング・ダイニングそして玄関を兼ねた中央のスペースとその両脇のスペースに分かれてはいるものの全てが繋がったワンルームです。
扉のないワンルームのコンパクトな住宅は、庭も取り込み全ての空間が緩やかに繋がっています。
ですから、狭小とはいうものの実際に中に入っても狭い!という印象は持ちませんでした。

▲展覧会で再現された私の家のハブマイヤートラスは竣工時の色で塗装されています。
キッチンとトイレ
正面から向かって左側のスペースには窓側にキッチン、その裏がシャワー室とトイレ、そしてビデです。
湯船は当初はなかったのですが、増改築の際に新たなトイレと洗面所、脱衣所、お風呂が設けられました。(ですから、現在はトイレの扉がありました)
竣工時のシャワー室とトイレはかなりコンパクトでいわゆるユニットバスのような関係でした。
扉のないトイレは家族といえどもかなり斬新です。また、トイレの便器とは別にビデが設置されていたのはハイカラですね。
トイレの裏側にあたるキッチンはとても狭いのですが、大きな窓からの光でとても明るくて開放的。
その窓の下にはレンガで囲まれた四角いスペースがあり、当初はそこが小さなプールだったそうです。子供達がプールで遊んでいるところを見ながら台所作業ができたわけです。後にプールスペースは砂場に変更されたそうです。

リビング
「私の家」のポイントはやっぱり中央のリビングダイニングスペースです。
特徴的な床は鉄平石の石張りですが、玄関部分とされるところだけ大理石が貼られています。また、ここの床には温水式の床暖房が設置されているのです。
当初は土足のイメージだったそうですが、実際には靴を脱いで生活していたそうです。そりゃそうですね。
このリビングであり、ダイニングであり、書斎であり、玄関でもあるメインスペースは庭の鉄平石と連続した空間になっており、時には移動畳を外に出して庭もリビングの一部として開放されていました。
ただ、実際に行って驚いたのは、このスペースと庭はフラットに繋がっているのかと勝手に思っていましたが、実際は15cmほど家の方が上がっているため段差があります。

ですから、移動畳にキャスターがついているものの、庭に出す場合は持ち上げていたのですね。
書斎の机から見る庭の景色が清家清のお気に入りだったそうですが、確かに気持ちの良い眺めでした。
書斎机の背後には寝室まで続く棚が設えてあり、寝室部分はクローゼットとして行李を入れて使っていました。
また、宙に浮いているようなキャビネットは、空間を仕切るカーテンの間から顔を出すような形で奥のスペースの壁に取り付けられています。
天井には発想源がイームズの自邸と言われるハブマイヤートラスがとてもいいアクセントになっています。18mmの鉄筋をラチス状に編んで溶接したものです。現在の「私の家」ではオフホワイトに塗装されていますが、竣工時は赤茶色だったそうです。
また、リビングの壁には埋め込まれた時計や、清家家の家族写真、東工大の窯業科が製作した清家清の父正のレリーフも飾られています。

寝室
「私の家」の唯一の間仕切りカーテンの先には階段室とその裏側に寝室があります。
寝室にはダブルベットがあり、壁側には箪笥が並んでいます。寝室の壁は一部ガラスブロックで、とてもモダンな空間。またそのガラスブロックの壁の下の床には地下の部屋と通じる円形のガラスブロックが埋め込まれており、地下にあった長女ゆりさんの部屋とガラスブロックで繋がっています。
寝室と隣り合わせの階段室には、「私の家」唯一のオリジナルの照明が残っています。他は付け替えられているそうですがここだけ竣工時のものだそうです。
また、ここの空間の窓ガラスは地下のハンドルを操作することで、腰壁に吸い込まれるようにして開くスチールサッシなのですが、過去に何度かワイヤーが切れてガラスが破損したため、現在開閉はしてないそうです。
この大きな窓ガラスの下には、清家清がコペンハーゲンからアテネまで3万キロを横断したときに乗っていた排気量150ccのイタリア製スクーターのランブレッタが置かれています。これまた渋い!

▲唯一の間仕切りカーテンの前で浮いているようなキャビネットには黒電話が置かれていました。
「私の家」の椅子
「私の家」にはリビングにピーター・ヴィッツ&モルガードニールセンのAXチェアがあります。大卒の初任給が13,000円だった当時、1脚22,000円の椅子は清水の舞台から飛び降りるような気持ちで購入したものだそうです。
とってもいい色になっており、ファブリックなど何もないのにゆったりとしていてとても座り心地のいい椅子でした。
さらに、このAXチェアの前にあるガラステーブルの天板越しに眺められるように置いてある2脚のバタフライスツールは、柳宗理からのギフトでバタフライスツールの最初期のものでとっても貴重なもの。
これまでは普通に使っていたそうですが、柳工業デザインの方から大変貴重なものなので壊さないようにと言われてからは、テーブルの下に置いてガラストップ越しに見るようにしているんだとか。
庭にも柳宗理デザインのエレファントスツールが置かれ、愛らしい姿を見せていました。近づいてみるとかなり年季が入っているのですが、ちゃんと腰掛けOKでいいものはいつまでもいいのだなと実感しました。
「私の家」の見学について
東京工業大学の那須研究室が主催されている月に一度の見学会があります。
現在は、建築関係者および建築学生のみを対象(2023年10月現在)としており、平日に1回10名ほどで1時間の見学会です。
見学会は事前予約制です。
「私の家」写真撮影について
「私の家」では写真撮影は可能です。しかし、SNSやwebでの公開は禁止です。
このブログに掲載されているのは、GALLERY-SIGN TOKYOの建築家 : 清家清の展覧会 : “清家清 : しつらえとしての畳の台”展のものです。
また、同じ敷地内にある「続私の家」「倅の家」の撮影は禁止です。
“清家清 : しつらえとしての畳の台”展
2023年9月9日-10月29日(日)
13:00 – 19:00 月曜休
東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル4F
東京国立近代美術館の名作椅子特集(移動式畳があります)▼
基本情報
清家清「私の家」
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