紀尾井町と言えば今や内藤廣設計の紀尾井清堂ですが、実はその紀尾井清堂のすぐ近くに目黒区役所やプリンスホテルなど数々の名建築を手がけた村野藤吾が設計した建築が3つほどあります。しかも一つは紀尾井清堂のすぐ隣なんです。
紀尾井町の3つの村野建築と共に村野藤吾が手がけたモザイクがとても魅力的な2つの建築日生劇場と名古屋の丸栄、全部で5つの村野建築の紹介です。
PR紀尾井町の村野建築
紀尾井町にある3つの村野建築を紹介します。奇しくも内藤廣設計の紀尾井清堂を中心に3つの建築が、全て徒歩5分圏内に点在しています。
南部ビルディング
内藤廣設計で一般社団法人倫理研究所の紀尾井清堂のすぐ隣にある紀尾井町南部ビルは、1980年竣工で村野藤吾の設計によるオフィスビルです。
紀尾井清堂との位置関係はこんな感じです。まさにお隣さんなんです。▼
▼は紀尾井清堂の中の木の窓から紀尾井町南部ビルを見た様子です。
紀尾井清堂の窓から、この特徴的なビルの外観を目にしたら、建築好きの方ならピンとくるはずです。Tの字の窓を見て蔦屋書店を連想した方は、ごくごく普通の人?!
最初に南部ビルを見学しに行った時には、紀尾井清堂は建築中だったので、まさか後々紀尾井清堂の中からこの建築を眺めることができるとは思いませんでした。
紀尾井清堂初訪問の時はこの風景にも興奮しました。▼
整然と並んだ、TTな窓。これ全部はめ殺しなんだろうか。▼
村野藤吾と言えば、プリンスホテルであの上野リチを起用するくらいですから、そのセンスは、時にとっても乙女です。紀尾井町南部ビルディングの竣工の際、村野藤吾はすでに89歳ですが、とてもみずみずしい意匠が随所に見られます。
中でも乙女心炸裂なのが、庇の上のアイアンワークによるツバメです。▼
PRそして、つばめのいる庇やその柱は、アールを多用したこれぞザ!村野藤吾!なデザインです。▼
このような村野建築の特徴とも言えるアールのデザインは、村野藤吾が粘土による模型で表現し、それを現場は忠実に再現したそうです。
CADがない時代に施工担当者達は相当苦労したでしょうね。
現グランドプリンホテル新高輪(旧新高輪プリンスホテル)を彷彿とさせる小さなバルコニーもありますね。
凸型の目地もまた村野藤吾らしい。▼
普通のオフィスが入ったテナントビルなので、外観の見学のみで中には入れません。
紀尾井清堂の窓から、そして、その見学の前後に是非外観の見学をしてみてください。
東京都千代田区紀尾井町3−3 MAP
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麹町ダイビル
南部ビルディングから200mほどのところにあるのが、麹町ダイビルです。南部ビルディングと麹町ダイビルの間に紀尾井清堂があるという位置関係です。
こちらは南部ビルディングより4年ほど早い1976年の竣工です。麹町ダイビルの方が、意匠が凝りに凝っていて村野建築らしいデザインかもしれません。
建物の柱や梁の部分は、ゴシック建築を想起させる彫りの深い凝った装飾のプレキャストコンクリートで、オフィスビルらしくないとても荘厳な外観です。▼
細長い形状の土地にあるため正面エントランスのファサードは細長く、奥行きのあるビルです。
入っている会社は、スナイデルやミラオーウェン、コスメキッチンを手がけるマッシュホールディングスです。美人が多いことでも有名だとか。女性社員が多いので、1階はスケルトン天井のインテリアがおしゃれな社食のようです。
ピンコロ石が壁面に迫り上がるのはとっても目黒区総合庁舎ぽいですね。▼
この飛行機の羽のような庇、目黒区総合庁舎のミニミニバージョンですね。守衛ボックスまでそっくりです。▼
麹町ダイビルも外観のみの見学です。麹町ダイビル、紀尾井清堂(内藤廣)、南部ビルディングと3つの建築はとても近いので一緒に見学することをおすすめします。
東京都千代田区麹町5丁目7−1 MAP
PRなだ万 山茶花荘
紀尾井清堂から赤坂見附駅に向かう途中にある、ホテルニューオータニの日本庭園の中にあるなだ万山茶花荘も村野藤吾の設計による数寄屋造り建築です。竣工は1974年。
なだ万は、言わずもがなの懐石料理をいただける高級料亭です。全て個室で源氏物語にちなんだ花桐・葵・紫・藤・茜のながついた座敷で構成されています。
各座敷には、随所に和紙や織など異なる趣向が凝らされているそうですが、中に入ったことはありません。
紅葉の時期は庭園自体がとても綺麗なので、村野建築を遠目に見ながら庭園散策をしました。▼
人間は自由に出入りできないけれど、ニャンコは高級懐石料理のお店だろうがなんだろうが自由に出入り可能です。
村野建築の屋根の上で眠っていたのに起こされて、あくびをする瞬間の猫。▼
紀尾井清堂と南部ビルディングからホテルニューオータニまでは、徒歩5分ほどです。
東京都千代田区紀尾井町4 MAP
村野藤吾のモザイク建築
ここからは、村野藤吾建築の中でもとりわけモザイクが印象的な建築です。
丸栄(現存せず)
丸栄は、名古屋の中心地栄にあった村野藤吾設計で1953年竣工の百貨店です。1956年の増築時に8階建ての外壁を埋める巨大なモザイク壁画が設置されました。
このモザイク壁画の抽象的な図案も村野藤吾によるものです。
残念ながら丸栄は、2018年6月末でその72年の歴史に幕を閉じました。
丸栄は、百貨店で唯一の日本建築学会賞受賞建築で、当時保存を求める声もありましたが、その声も虚しく2018年11月から解体が始まりました。
この写真は、お店は閉店したものの、解体工事に入る直前の2018年10月に訪れて撮影したものです。▼
圧巻のモザイク壁画です。モザイク壁画以外のビルの外壁は、地元愛知県の伊奈製陶の藤色9色のグラデーションのカラコンモザイクが使われています。
モザイク壁画に使われいてるタイルは、泰山製陶所と大佛の小口タイル、伊奈製陶のカラコンモザイクです。
窓まわりにガラスブロックなどが使われていて、厚みが異なるタイルの扱い、目地の取り方など、その抽象的な図案と共に非常にオリジナリティあふれるモザイク壁画でした。もう目することができないのがなんとも残念です。
2018年、タイミングよく名古屋出張があって、朝早起きして丸栄まで行ってみてよかった。▼
建物はなくなりましたが、モザイク壁画の3階の一部を復元したものが、INAXライブミュージアム「テラコッタパーク」に常設展示されているそうです。これは見に行きたい。
残念ながら現存しません。
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日生劇場(日本生命日比谷ビル)
村野藤吾のモザイクといえば、都内でも見られるのが日生劇場(日本生命日比谷ビル)です。1962年竣工で、外観もかなり凝っているビルなのですが、何よりも床のモザイクがものすごく可愛いくて大好きな村野建築の一つです。
日本生命の社屋であるビル中に劇場が同居しています。ここの窓もTTですね。▼
1階はピロティになっていて、日生劇場のピロティからエントランスまで、ダイナミックな床モザイクが施されています。
色はモノトーンですが、抽象的な柄、具象的な柄が混在していて、とっても魅力的です。▼
このモザイクの図案は村野藤吾ではなく、日本画家の長谷川路加です。
長谷川路加の最晩年の作品なのですが、童心に帰ったような自由でのびのびとした描線は、60年経過した現在でも全く色褪せません。▼
ビルの1階のカフェの中までモザイクが続いていますよ。▼
カフェについては姉妹サイトの「昭和の名建築にある 床モザイクがかわいい カフェ アラティエンヌ」の記事を参照ください。
日生劇場はその劇場内の内装の迫力も物凄いのですが、現在は、なかなか中に入る機会もないので、写真がありません。床のモザイクはいつでも見られるので、日比谷に行ったら立ち寄ってみてください。
東京都千代田区有楽町1丁目1−1 MAP