このブログでも度々取り上げている日本のカウディこと奇才!梵寿鋼先生が(なぜか先生呼びしたくなる)1970年代に設計した南池袋の商業ビル、その名も「斐禮祈<ひらき>:賢者の石」をみてきました。
なんだかんだとこのブログでも梵寿鋼先生の物件を取り上げるのは、東京都内建築巡り<早稲田 2> 日本のガウディ梵寿綱設計 ドラード和世陀(1983年)、東京都内建築巡り<松濤>白井晟一設計の渋谷区立松濤美術館とあの有名建築家の若かりし頃の建築巡りで取り上げたシャンポール松濤(1969年)、東京都内建築巡り<西麻布その1> 安藤忠雄から梵寿綱まで 近隣住民目線のディープな西麻布建築情報で、取り上げたエスペランザビル(1977年)、代田橋の二つの梵寿綱建築 日本一装飾過剰なコンビニがあるマインド和亜(1992年)と女神ドーン!のラポルタイズミ(1989年)、そして中目黒のカーサ中目黒(1974年)とこれまでに5回6物件をレポートしてきました。
6回目7物件目となる今回取り上げるのは、エスペランザビルの後に完成した1979年竣工の「斐禮祈<ひらき>:賢者の石」です。

斐禮祈<ひらき>:賢者の石
設計:梵寿鋼 竣工:1979年(昭和54年)
梵寿綱の建築としては「斐禮祈<ひらき>:賢者の石」というものですが、住所としては「ルボワ平喜ビル」というようです。
JR池袋駅から徒歩数分、南池袋公園も豊島区役所もすぐそばという好ロケーション。
建物自体は酒類の製造から卸まで行う平喜(ひらき)グループのもので、1階には直営の立ち飲み屋「喜平(きっぺい)」や酒販卸の平喜屋の倉庫、2階は平喜屋のオフィスと宴会場という複合ビルです。
こちらは1979年竣工ですが高島平にもやはり平喜が所有する同名の「ルボワ平喜ビル」があり、そちらは1977年竣工。ほぼ同時期に平喜の案件を2つ手掛けていたのですね。
ルーツを静岡とする平喜と江戸っ子の梵寿綱の繋がりはよく分かりませんが、なんらかの関係があったのでしょう。

装飾あれこれ
梵寿鋼建築は装飾の大渋滞が特徴ですが、その装飾というのは、単なる飾りではありません。
どの建築も立派な手技の光る工芸作品だったりするんです。
ルボワ平喜も他の梵寿鋼建築がそうであるように、さまざまな工芸的要素が詰まっていました。

ファサードは他の梵寿鋼の仕事と比較すると色彩的な側面は非常に控えめです。
白1色でまとめられており、梵寿綱建築の中ではかなり落ち着いた建築と言えるでしょう。
賢者の石と日時計
平喜ビルの角のところには巨大な装飾が施されています。構造物ではなくて本当に装飾としての機能しかないものです。
でも、これがたぶん「賢者の石」なのだと思います。ちょっと怖いですね。

▲丸くて黒い物体がおそらく「賢者の石」。
賢者の石といってもハリー・ポッターではなくてコリン・ウィルソンの「賢者の石」でしょう。
梵寿綱のことですから、コリン・ウィルソン的なアウトサイダー論や人間の進化について興味を持っていたのではないでしょうか。

またその賢者の石の隣には、何やら四角いものが突き出ています。
これはどうやら日時計のようです。出ました!日時計!梵寿鋼建築では珍しいものではありません。
カーサ中目黒にも目立つ場所に日時計があったので、どうやら日時計はどうしても設置したい装飾的要素であり、機能のようです。
モザイク
エントランスエリアには外観と打って変わって、極彩色のモザイクが天井を覆います。
やっぱりここに梵寿綱テイストがありました!
ちょっと安心してしまいました。

金色のモザイクが描くのは、具象ではなく抽象です。しかし見れば見るほどかなり手が込んでいるモザイクです。
すごい!
テラコッタ
長さや太さがランダムな筒状の焼き物がマンションの塀から流れ落ちるかのように取り付けられています。
その有機的なフォルムがなんとも奇妙で面白いですね。
これらのテラコッタが一体何を表現しているのか、なんの意味があるのか、そんなことを問うてはいけません。
これが梵寿鋼建築なのです。

照明はニョッキと壁から突き出た手が持っています。手のひらにのせているタイプの照明もありますね。
椅子は、肘掛けが腕に、脚は足の形をしています。
よく見てみるとエントランス空間は、クラフトワークが大渋滞しています。モザイク、テラコッタ、アイアンワークにステンドグラス。
ちょっとした展覧会を鑑賞したくらいの満足度が得られます。いやーやっぱり梵寿綱はすごかった!
基本情報
斐禮祈<ひらき>:賢者の石
豊島区南池袋2丁目29−16 |