女性アーティストで超かっこいい部門No.1(私調べ)に輝いたマリーナ・アブラモビッチ。自身の体を使ったパフォーマンス作品を数多く発表しています。時に過激な表現で話題になりますが、祖国の悲しい内戦の歴史や社会主義からの解放などその作品の根底に流れるのは社会的政治的メッセージです。70年代、80年代は公私ともにパートナーのウーライとの作品を多く発表しています。
Rest Energy |
ウーライとアブラモビッチの代表的なパフォーマンスの一つで弓を使った「Rest Energy」ダブリンで発表されたものです。パートナーへの絶大な信頼がないとできないパフォーマンス。非常に緊張感があります。この他にも二人は様々な協働作品を世に発表します。そして、1988年中国政府の許可を取るのに8年かかったという「The Great Wall Walk」という最後の作品を発表します。これは万里の長城の両端からそれぞれが3ヶ月かけて歩き始め、再会したところで永遠に別れるというものでした。
本当に二人はこのパフォーマンス後、公私ともに別れを告げるのです。別れた二人は各々の別の活動をします。その後のアブラモビッチは「パフォーマンスアートの祖母」と称され、アーテイストして精力的な活動を行い世界中で作品を発表します。
レディガガとのコラボは有名ですね。
日本では2000年に制作した新潟県十日町にある宿泊できる作品「夢の家」とファーレ立川には「黒の竜 家族用」があります。
マリーナ・アブラモビッチ |
1995年のオックスフォード現代美術館での個展の図録です。
マリーナ・アブラモビッチ |
そして、時は流れ2010年。アブラモビッチはニューヨーク近代美術館で「アーティストはそこにいる(Artist is Present)」という個展をします。そこで「Imponderabilia」(1977年)が再演されました。オリジナルはアブラモビッチとウーライが美術館の出入口に全裸で立って、観客が入る時も出る時もその二人の間の隙間を体を横にして通らなければならないというものでしたが、MOMAでは若いパフォーマー達がシフトを組んで交代で行われ、入口でも出口でもない展示室の真ん中で再現されました。この再演・再現は賛否両論だったようですが、観客は1977年の作品を時代を超えて体験することができたのです。パフォーマンスは生のメディアなので、その時限りというのが、よさでもあるのですが、私は本当に優れた作品は時代を超えて受け入れられるものなので再演・再現に反対ではありません。(下の動画はMOMAの時の再演ではありません。)
この展覧会でアブラモビッチは 会期中3月14日から5月30日まで毎日、MoMA内の大吹抜けに座り続けるパフォーマンスをします。休館日の火曜日を除き、美術館が開館している毎日午前10時30分から午後5時30分まで。金曜日は夜8時まで。総日数67日間、時間数にして496.5時間ずっと座り続けました。それは向かい側に座った人と会話を交わすこともなくただ見つめ続けるというものでした。誰もが好きなだけアブラモヴィッチの前に座る事が出来るのでなかなか順番が回って来ず、ものすごい待ち時間だったいうことです。そして、ようやく順番が回ってきてアブラモビッチと対峙すると、その存在感と感動で涙を流す人がたくさんいたそうです。
そのパフォーマンスに突如現れたの一人の男性。それは、万里の長城で永遠に別れたウーライでした。当時この感動的なシーンは世界中に配信されました。今から5年前のNY、22年の時を経て64歳と67歳になった二人の再会です。
アブラモビッチは当然、目の前に座ったその男性が誰なのかすぐに理解します。わずか1分半という短い時間ですが、そこには濃密な時間が流れます。アブラモビッチは涙を浮かべ、自ら決めた掟を破ります。目の前に座るウーライに手を差し伸べるのです。そして何かとても短い言葉を交わしているように見えます。二人は机を挟んで手をとりあい、それを見守っていた観客は拍手を送ります。そして、またウーライはアブラモビッチの前から去っていきます。
ドロドロのぐちゃぐちゃでくっついたり離れたりを繰り返した挙句、中途半端な関係をいつまでもだらしなく続けたり、顔も見たくないほど憎み合うなどのどうしようもない関係が少なくない昨今、万里の長城で永遠に別れた後、二度と会うことのない二人がこうして再会した瞬間がこんなにも美しいのは、本当に会うことがなかったから、そして会うつもりもなかったという点で二人が一致していたからでしょう。22年という歳月が二人の関係を美しいものに昇華したのです。
しかし、この世界中に配信された感動的再会には後日談があります。ウーライがアブラモビッチを訴えたのです。1999年、二人の協働作品の権利をウーライはアブラモビッチに売却します。そして、その時アブラモビッチが作品を発表する際に必ずウーライの名前をクレジットすることと、その作品で得た収益の20%をウーライに渡すという契約を交わします。しかし、2015年、ウーライはその契約がきちんと遂行されていないということでアブラモビッチを訴えたのです。その結果、裁判所はアブラモビッチにウーライへの支払いと1976年~1980年の共同作業を「ウーライ/アブラモビッチ」、1981年~88年まで「アブラモビッチ/ウーライ」とウーライの名前をクレジットするよう命じます。
アブラモビッチは彫刻家の夫と、ウーライはグラフイックデザイナーの妻と結婚しています。やはり2人は別れるべくして別れたのです。
美しい再会には悲しい後日談があり、別れる2人には別れる理由があって、その別れは必然だったと言えるでしょう。