60年代チェコスロヴァキアヌーヴェルヴァーグ映画祭にて「ひなぎく」が上映されると聞いてシアターイメージフォーラムに行ってきました。
日本での「ひなぎく」公開について
「ひなぎく」はヴェラ・ヒティロヴァー監督で1966年に公開された映画です。日本で最初に公開されたのは1991年、今はなき吉祥寺のバウスシアターでした。その際ヒティロヴァー監督も来日しています。しかし、本当に日本で最初に上映されたのは1980年代で、この映画「ひなぎく」の字幕も担当している粕三平さんが西武のシネヴィヴァン六本木やシネセゾン渋谷の前身となった池袋のスタジオ200でその他チェコスロヴァキアのヌーヴェルヴァーグ映画と共に自主上映に近い形で数回上映したのが始まりです。その後吉祥寺バウスシアターでは定期的に上映され続けその度に大盛況となる現象を起こしています。
日本における映画「ひなぎく」はシネヴィヴァンやシネセゾンの前身のスタジオ200から始まりバウスシアターで大きく広がり、現在はイメージフォーラムに引き継がれています。その流れはまるで東京のミニシアターの歴史そのものと言っても大袈裟ではないように思います。
女流監督ヴェラ・ヒティロヴァーについて
兄の影響で大学は化学専攻を志すも不合格。不本意ながらもブルノ工科大学で建築を学ぶことになりましたが、結果的には画面構成や空間に関する感覚など映画作りにとても役立ったのだそうです。
映画もそうですが、監督ご本人も非常に美しい人だったのでモデルの仕事をすることになり、その仕事がきっかけで映画の脇役に出演することになります。そこで知り合った写真家と結婚しますが3年で破綻。その後ひなぎくの撮影監督をしていたヤロスラフ・クチェラと結婚。「ひなぎく」を撮影する2年前に長女を、2年後に長男を出産しています。
ひなぎくが幼子を抱えた状態で制作された映画なんてとても信じられないですね。
夫ヤロスラフ・クチェラとは添い遂げていますが、どうやら結婚生活も映画同様自由奔放だったようです。
そして1966年ヴェラ・ヒティロヴァーは「ひなぎく」を制作公開したことにより世界中に名を知られることになりますが、本国チェコスロヴァキアでは政府当局から発禁処分を受け7年に渡り活動停止を強いられます。しかし、そんな処分に屈することなく生涯に渡り映画制作を継続しました。ひなぎくの後に制作されたひなぎくの衣装・美術担当の脚本家・美術家のエステル・クルンバホヴァーのドキュメンタリー「エステルを探して」という作品があるらしいので鑑賞の機会があれば是非観てみたいです。
ひなぎくの可愛さ
冒頭の水着のシーンから最後のミイラ的衣装までとにかく全編に渡ってファッショナブルで美しく可愛い。キャストも衣装もメイクもヘアスタイルもインテリアも画面構成も何もかもです。
その美しさ可愛さはどこから来るのでしょうか?そして全く古くないどころか新しささえ感じるのはなぜなのでしょうか。そんな問いを抱きながら鑑賞しました。
この映画の魅力は衣装・美術担当のエステル・クルンホヴァーの力も欠かせません。だからこそ監督はエステル本人のドキュメンタリー映画を制作したのでしょう。きっと魅力的な人だったはずです。
そして、もう一つこの映画が美しくなければならない理由がありました。
ヒチロヴァー監督曰く「何か犯罪的な事をしてもいい。ただ、それに美しさを着せなければ、誰も許してくれない」ようするに、美は全てに勝利する、ということです。
当時のチェコスロヴァキアでは体制や社会に対する批判を公にすることはできませんでした。そのため映画は美しく可愛くなければならなかったのです。この映画の美しさ可愛さには抑圧された社会主義国家の悲しい理由があるのです。
美しくて可愛くてそして悲しい。
この映画が世界中から長きに渡って愛されている理由がよくわかりました。
シアターイメージフォーラムでのチェコスロヴァキアヌーヴェルヴァーグ映画祭は12/1まで。