木材を多用し和を感じさせる設計で知られる隈研吾は、実は仏教との親和性も高いため多くの寺院建築も手掛けています。
都内では白金台の瑞聖寺、神楽坂の赤城神社、また原宿の明治神宮ミュージアムなど。
今回は隈研吾の出身地である横浜は大倉山にある高野山真言宗の寺院「歓成院(かんじょういん)」と隈研吾設計の客殿を紹介します。
客殿は2022年に竣工したもので、2024年9月に隈研吾とスリランカ駐日大使による対談セミナーにご招待いただいたのでセミナー参加とともに客殿の見学を兼ねて訪問してきました。
隈研吾設計 歓成院 客殿/かんじょういん・きゃくでん
大倉山の歓成院は1560年(永禄3年)の開創。時代区分では室町時代末期ですが実は織田信長の「桶狭間の戦い」があった年でもあるので「戦国時代」とも言える時代です。
本尊は十一面観世音菩薩で、永く大倉山で崇敬を集めてきた寺院です。
また歓成院は幼稚園を併設していて、先代住職の頃からスリランカにも幼稚園建設などの教育支援を続けていて、そんな縁からスリランカ駐日大使と隈研吾の対談セミナーが実現したようです。
PR大倉山と歓成院と隈研吾
歓成院が位置し隈研吾が生まれ育った「大倉山」は同名の小さな山にちなんだ地名。東急東横線の大倉山駅もそれにちなんだ駅名です。
土地の住所としては「太尾町(ふとおちょう)」というのがもともとの名称だったのですが、戦前の昭和7年(1932年)に実業家の大倉邦彦が太尾町の山の上に「大倉精神文化研究所」という施設を建設したことで、この山や付近一帯が「大倉山」と言われるようになり、東横線の駅名も「大倉山駅」に改称されています。
そして地名・住所としての「太尾町」は21世紀に入ってから正式に「大倉山」に改称され、今では正式な地名も大倉山です。
昔からずっと、大倉山という山があるから駅名も大倉山なんだと思う方が多いのですが、実は人名由来の地名、駅名。しかも歴史ある太尾町という地名から改称してしまうくらい多くの人に馴染まれているのです。
なおこれも勘違いされることが多いのですが、人名由来ではあってもホテルオークラや製紙業で知られる大倉喜八郎や大倉財閥とはまったく関係ありません。
隈研吾は1954年にこの大倉山に生まれています。対談で語られたお話によると、大倉山駅と歓成院の間、歓成院から歩いて数分の場所に家があったそうです。
当時の大倉山は田園が広がるいかにも日本の原風景を思わせるような土地で、裏手の「大倉山」も今のような擁壁もなく子どもたちが遊び回るにはもってこいの場所だったそうで、ここでの日々が隈研吾のアイデンティティにもなっているそうです。
その大倉山の、そして多分遊び場の一つでもあったであろう歓成院から客殿・庫裡(きゃくでん・くり)の建て替えを含むプロジェクトに声をかけられたのですからYESと即答したであろうことは想像に難くありません。
PR垂木が攻めてる客殿
客殿は、ひとめ見ただけで攻めてる!と誰もが感じる非常にオリジナリティの高い建築です。この建物だけ切り取って目にしたら誰も寺院内にある施設とは思わないでしょう。
▲建築家本人の話によると、国立競技場で垂木を使った建築を手掛け、そのあと垂木を使ってもっと色々できるのではないだろうか、と言う流れでこの建築になったそうです。
この建築のポイントでもある軒下空間の奥行きはなんと7mもあり、60×150のスギ集成材ルーバーの勾配が徐々に変化することで、まるで波打つようなうねりのある空間を形成しています。
こんなにも攻めてる建築を実現できるのは、理解あるお施主さんあってこそです。
築100年越えの本堂の真横にこの隈研吾建築、その対比はお見事としか言いようがありません。
歓成院は守るべきものは守り、新しいものも積極的に導入する革新的な寺院なんだなぁと感じました。
というのもセミナーを聞いていて分かったことですが、歓成院の摩尼住職は幼少期よりジェフリー・バワ建築(←本物の!)に触れて育ったそうです。
また、スリランカ駐日大使とも流暢な英語で会話をするなど、ところどころにインターナショナルなバックグラウンドが見え隠れしていました。そんな様子を見ていて「なるほど!」と勝手に納得してしまいました。
Instagramをやっていると、おかげさまで色々なところからお声がけを頂くのですが、寺院のアカウントから声がかかったのは初めてだったので驚きました。
寺院の伝統を守りつつもInstagramアカウントまで操る。なんて革新的なお寺なんでしょう!
このことを象徴するかのように歓成院では築100年越えの本堂と2022年竣工の攻めてる客殿が隣同士で並んでいます。
和紙に包まれる客殿内部
先進的な攻めてる垂木建築の内部はというと、全体が和紙で覆われたとんでもなく温かみのある空間でした。
縦桟のみのモダンですっきりとした空間。日本人にとっては障子を連想させる落ち着く空気が漂っています。
なんと、この和紙のコーテイング材はこんにゃくなんですって!
和紙と縦桟のモダンな内装に加えて、足元に窓があり和紙空間がまるで浮いているかのように感じるしつらえです。素敵〜
セミナーで聞いた話ですが、客殿建設中はまだ隈さんのお母様がご存命で、現場に来るたびに実家に立ち寄り、お母様との束の間の時間を過ごされたそうです。
そんなシチュエーションで設計されたからなのか、この客殿の内部空間はまるで母のような安心感を覚える空間です。
ギャップ萌え建築
先進的で攻めてる外観からは全く想像できない内部空間を持つ客殿でした。
和紙に包まれた温かみに溢れた内部空間に足を踏み入れて、ここがギャップ萌え建築であることに気づきました。
▲客殿までのアプローチには隈さんの提案により竹が植えられています。
柔らかな竹の葉のそよぎと隣のクスノキの大木が落とす木漏れ日が、波打つ垂木による軒下空間まで広がり、とんでもなく美しい光景を見せてくれます。
自然と建築の美しい調和ですね。
▲実は寺院の手前にある大倉山観音会館は、なんと!手塚貴晴+手塚由比によるものだそうです。
ここは建築好き必須の寺院だったのです。
隈研吾×スリランカ大使 対談セミナー
セミナーでは、スリランカ駐日大使と隈さんによる建築を通した日本とスリランカの話が展開されました。
スリランカ駐日大使ご夫妻は当然ですが、隈さんもこれまでに何十回もスリランカを訪れているんですって!
摩尼住職同様に何度もジェフリー・バワ建築のホテルに宿泊しているのだそうです。なんとも羨ましい限り。
いつか私もスリランカでバワ建築巡りをしたいという以前からの願望が益々強くなるお話でした。
基本情報
住所:神奈川県横浜市港北区大倉山 2-8-7 MAP
アクセス:東急東横線 大倉山駅 徒歩6分
東急東横線で渋谷から約30分。大倉山の駅からギリシャ風の建築が建ち並ぶエルム通り商店街を歩けば5分ちょっとで歓成院です。
隈研吾の寺院建築「白金台 瑞聖寺」や「神楽坂 赤城神社」も参照ください。▼
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