ホテルオークラは、帝国ホテル東京、ホテルニューオータニとともに、高級ホテルの「御三家」のひとつだ。駅近でアクセス便利な2つのホテルと比較するとオークラ東京は少々どの駅からも遠かった。しかし、2020年森ビルの虎ノ門ヒルズ開業に合わせて、その経費の大半を森ビルが負担して開業した「虎ノ門ヒルズ駅」が完成したおかげで一番の最寄駅から徒歩5分でアクセスすることが可能になった。
今から約200年前、ホテルオークラの建つ東京の港区虎ノ門二丁目には、川越藩松平大和守の屋敷があった。1878年に大倉財閥の創設者である大倉喜八郎がこの土地を購入して自邸を建てた。
大倉喜八郎は広大な敷地内に美術品を展示する私設美術館も作ったのだ。これが、今もオークラ東京敷地内にある日本初の私立美術館「大倉集古館(おおくらしゅうこかん)」である。
大倉喜八郎の長男大倉喜七郎は、1922年に父の仕事を継承し、帝国ホテルの会長として活躍した。帝国ホテルだけでなく、川奈ホテルや赤倉観光ホテルの創業にも携わっている。
しかし、戦後の公職追放や財閥解体を経験後、喜七郎は大倉商事の監査役として復帰し、同じくして帝国ホテル社長への復帰を望んだものの、それは叶わなかった。
その後、喜七郎は1962年、かつての自邸跡地に「ホテルオークラ」を開業したのが、今日のThe Okura TOKYOの始まりだ。
ようするに帝国ホテルに長きにわたり携わっていた大倉家が新しく創設したのが、オークラ東京というわけだ。大倉喜八郎と喜七郎親子によるホテルの継承と共に、オークラ東京の建築もまた谷口吉郎と谷口吉生による親子建築家の継承が行われている。
1962年の開業時にホテルの設計を担当したのは谷口吉郎だ。その後2019年のリニューアルオープンの際に設計を手掛けたのが息子である谷口吉生だ。谷口吉生は、新たなデザインを施しつつも、長く親しまれ愛されてきた父谷口吉郎の代表的な仕事でもあるホテルオークラのロビー空間を、新しいプレステージタワーのロビーにそのまま現代の技術で再現したのだ。
この日本の卓越した技術が結集したプレステージタワーロビーは、見応えがあるだけでなく、とても心落ち着く空間になっている。
新しくできたオークラ東京ヘリテージタワーは、息子谷口吉生の真骨頂である、シンプルかつ洗練された空間に仕上がっている。いくつかある階段の美しさは、まるで彫刻だ。ため息が出るほど美しいその階段空間を見るためだけに訪れたことさえあるくらいだ。
また、リニューアルに際して前庭に大きな水盤を設けたが、元々そこにあった大倉集古館を曳家によって6mずらしたことは有名な話である。大倉集古館が元の位置から6mずれて、素晴らしい水盤空間が創出され、晴れた日には、その水面の美しいゆらぎを見ることができるのだ。
この曳家については大倉集古館でメイキング映像が流れているので興味がある人は訪れてみてほしい。(多分常時上映されていると思う)