コンテンツへスキップ

築110年越え 茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅は山林王が建てた銅と銘木の堅牢なお屋敷


フォローする
シェア:
記事の評価

東京メトロ丸の内線茗荷谷駅のすぐそばで、風情ある湯立坂の入口にとても立派な門構えのお屋敷があるのをご存知でしょうか。

ここは、2005年に重要文化財に指定されたとんでもなく見事な木造の邸宅建築、旧磯野家住宅です。

しかし、残念ながら外からは、他に類をみない独創的なその姿を見ることはできません。

それ故に謎多き秘めたるお屋敷で、近所の方もここが何であるのか知らない人も少なくありません。

そんな旧磯野家住宅を見学してきました。

茗荷谷湯立坂の銅御殿(旧磯野家住宅)
タモリが最高得点をつけたことでも名高い湯立坂沿いに立つ銅御殿

スポンサーリンク

旧磯野家住宅は誰が建てた?

旧磯野家住宅というくらいですから、当然この邸宅のお施主であり家主は、磯野さんです。磯野というとサザエさんを連想させますが、全く関係ありません。

このとんでもない立派な大邸宅を建てた磯野さんは磯野敬(いそのけい)という方で、何をしていたかというと、山林王として財を成し、衆議院議員も務めた実業家です。磯野敬が山林王だったというのもこの邸宅のポイントの一つです。

実際にこの家を建てたのは、磯野敬に見込まれた当時20代の北見米造という若い若い棟梁でした。

北見米造は、後に彫刻家の高村光雲に弟子入りして仏師として活動したり、茶道を極め自ら初代理事長を務めた茶道会館の設計を手がけたりと幅広い活動をしました。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅
重要文化財に指定されている表門 唯一この眺めだけは外からでも見られる

いつ建った?

車寄を備えた平屋建の書院棟、3階建の応接棟、平屋建の旧台所棟などからなる磯野家住宅の主屋は1909年(明治24年)に着工し、1912年(大正元年)に竣工しました。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅
表門内側 長いかんぬきのついた一枚板の扉、太い檜の柱、軒先に並ぶ小丸太と銘木づくし。

▲また、主屋同様に重要文化財に指定されている尾州檜の太い丸太材を柱に用いた四脚門の表門は、1913年(大正2年)に竣工しました。

ですから、主屋も表門もすでに築110年をゆうに超え、竣工時の様子を知っている人はもう誰もいません。

故に、どうやって作ったのか、なぜなのか?など解明されていないことも多々あって謎多きお屋敷でもあります。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅
どうやって支えられているか解明されていない表門の軒先の小丸太

なぜ銅御殿?

周囲に高い建物がなかった建設当時、3階建で、屋根だけでなく壁面まで銅がびっしりと貼られたこの立派なお屋敷が、それはそれは目立っていただろうことは想像に難くありません。そこで誰ともなくこの立派なお屋敷は「銅御殿(あかがねごてん)」と呼ばれるようになったのです。

では、なぜこのような建物ができたのかというと、家主であり施主の磯野敬は、邸宅の建設に予算や工期に条件をつけませんでした。要するにいくらお金がかかっても、どれだけ時間がかかっても良いということです。ただ地震や火事に負けない堅牢な住宅を建てることを条件としました。

そこで、棟梁北見米造と100人を超える優れた職人が結集して作り上げたのが、耐震性、耐火性に優れた他に類をみない銅板葺の銅御殿というわけです。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅
庭園の大きな石の数々は、とんでもない金額の運搬費をかけて全国から運ばれてきた。

建築において、予算と工期度外視なんて通常はあり得ません。建築に限らず何かを製作する場合、予算と時間という制約の上で創意工夫をするのが常です。

20代でこんな恵まれた物件を担当することになった北見米造が、その後仏師や茶道など芸術へと傾倒していったのも納得です。

なぜなら、予算と時間など条件に縛られずに創作するものこそ芸術だからです。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅
屋根の勾配の反りが手前と奥で逆になっている主屋 銅板葺の屋根と壁は緑青で青い

スポンサーリンク

お屋敷の内部は?

特別見学会で見た旧磯野家住宅を紹介します。

漫然と見ていてはいけません。そこらじゅうに凝りに凝った意匠が散りばめられています。

銘木づくしの高い建築技術と山林王だった磯野敬と若い棟梁北見米造の情熱の結晶です。

玄関

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅
主屋への入り口正面玄関

▲照明も当時のものだそうです。

凝りに凝った扉の意匠、天井の縁など客人を迎える屋敷の顔だけに一筋縄ではいきません。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅
床のヒビは地震ではなく庭の大木の根っこが育ち隆起したもの

▲玄関のこの柱、よく見ると天と地に向かって細くなっているのがわかりますでしょうか。いわゆるかなり絶妙なエンタシスなのですが、このデザインは、上部の欄間のデザインにも踏襲されているんです。

柱が親エンタシスで、欄間が子エンタシス、親子エンタシスが見られるのです。芸が細かい!

書院棟

明るい廊下の先には、わざわざ建物の敷地より低く掘り下げたという緑豊かな庭園があります。

ベルギー製のゆらめきのあるレトロなガラス越しに見える庭の景色は、目に眩しくため息が出る美しさです。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅
窓の外、軒先の1本丸太の長さにも驚嘆!どうやって運搬したのでしょうか。

▲窓枠といい、欄間といい、計算し尽くされた緻密な意匠を木材で仕上げられる卓越した技術に感服です。

耐震も兼ねた強度を保つための意味もある窓枠のデザインも秀逸です。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅
欄間と桟と窓枠の美しさ。コンピューターなんてない時代にこのデザイン!

木材は湿度や温度で膨張したり収縮したりする材料です。このことを建築業界では、「木(もく)が暴れる」と言います。そんな言い方があるくらい収縮したり膨張したりするものなのです。

そういう性質の木材を使ってこんなに緻密なデザインを作り上げることができるのは、非常に良質な木材を十分に時間をかけて乾燥させて、落ち着いてから、造作に取り掛かっているということでしょう。

やはり銘木をよく知る山林王がだからこそです。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅
両側が物入れの会議室

大広間の横にある会議室です。部屋の両脇の壁は、ただの壁ではなく押し入れのような物入れになっています。しかも奥行きの深い、普通の家なら一部屋分くらいありそうな物入れが両脇に付いています。

これは、耐震を考え柱の代わりになっていると考えられています。

実際、関東大震災も東日本大震災も戦争にも耐え110年経った今もこうして健在なのですから、すごいです。

スポンサーリンク

欄間と桟

内部に入って目を奪われるのは、障子の桟や欄間のデザインです。部屋ごとに全く違うデザインが施されているのも驚きます。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅

▲この精巧なデザイン、全部木でできているのです。もはや工芸品です。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅

▲上部の欄間は、途中で切れてしまったような斬新なデザイン。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅

▲窓枠のデザインも凝っていますが、やっぱり桟に目がいきます。

▲最上階にあるこの丸窓がまた美しい。(外側のサッシュは後からつけられたものです。)

これら、欄間や桟の図案は、奪天工(だってんこう)という古い書物に載っている図案を元に製作されています。

磯野敬が、北見米造にこの書物を参考にするようにと言ったそうです。

この書物「奪天工」は、国書データベースで中身を全て見ることができます。

最後のページには、▲丸窓の図案が掲載されていました。デジタル上でですが、ページをめくっているとああこれ!これ!と声が出てしまいそうになりました。

北見米造は、若くしてこのような仕事を任されたことで優れた審美眼を持つようになったのでしょう。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅
1階

スポンサーリンク

照明

凝っているのは欄間や桟だけではありません。いたるところ工夫だらけなのですが、照明もまた美しかったのでご紹介します。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅
1階

▲木だけでなくアイアンワークだって凝りに凝っています。こちらも立派な工芸品ですね。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅
1階

▲各部屋で各々デザインが異なるのも桟や欄間と同じです。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅
3階の書斎

▲最上階、大谷家では書斎として使っていた部屋です。その名残を感じるしつらえになっています。

この部屋には和洋折衷な不思議なデザインの照明が取り付けられていました。

1階の玄関には4つの照明が、2階には3つの照明が、最上階にはこの2つの照明が設えられています。屋外の1階と屋内の2階・3階の照明では微妙にデザインが違います。

また、上記写真の一番右の壁だけ東日本大震災で崩れてしまったそうです。

110年の歴史の中で関東大震災にも耐え、東日本大震災で、壁の一部が崩れただけって逆にすごいです。ちなみにこの家の壁は11度塗り(!!)をしているので、塗りの部分が落ちただけで、躯体そのものはびくともしていません。

家主の磯野敬も北見米造も、もうこの世にはいないけれど、耐震耐火の堅牢な邸宅という唯一の条件が100年以上経った今も尚、守られているのです。

茗荷谷湯立坂の銅御殿こと旧磯野家住宅
向かい側の公園から3階だけが見える

スポンサーリンク

銅御殿の秋

12月初旬に銅御殿を再訪してきました。それは、銅御殿の紅葉を見るためです。

晴天に恵まれたおかげで揺らぎのあるレトロなガラス越しに見る色鮮やかな紅葉は陽光を受けてキラキラと煌めいていました。

その様子は想像を遥かに超えた、ため息の出る美しさでした。

銅御殿は時間を変えて、季節を変えて何度でも訪れたい建築です。

スポンサーリンク

今は誰が住んでいるの?

旧磯野家住宅は、その後新潟の石油王中野貫一が譲り受けて居住していました。

そして戦後、大谷重工業・ホテルニューオータニの創業家一族の大谷家の所有となります。大谷家が居住していた2005年に主屋と表門が重要文化財に指定されました。

現在は、大谷家から大谷美術館に移管され、美術館が保存管理しています。ですから銅御殿に居住している人はいません。

どこにあるの?

東京メトロ丸の内線茗荷谷駅1番出口を出て、目の前の茗荷谷駅前信号で国道の反対側へ渡ります。渡ったら左へ進み茗荷谷駅前交番の角を湯立坂へ右折します。

直進して一つ目の信号の先の右側角に立派な表門が見えてきます。地下鉄茗荷谷の駅から徒歩3分ほどで到着します。

見学するには

通常非公開の銅御殿ですが、年に数回内部が見学できる特別見学会を開催しています。

この見学会は、現在旧磯野家住宅を所有・管理している大谷美術館主催の見学会で、美術館スタッフによる丁寧なガイドの説明を聞きながら表門から車寄せ、正面玄関から内部を見学することができます。

事前予約制で参加料金は1人3000円 見学時間は約1時間 

見学会で写真撮影は可能ですが、原則SNSやweb掲載は禁止です。

*このブログでは特別な許可をいただき撮影・掲載しています。

特別見学会は事前予約制で主に春と秋に開催しています。

特別見学会については、こちらのサイトをご覧ください→クリック

<クラウドファンディング> ←終了しました

銅御殿では、貴重な文化財を安全に後世へと護り継ぐべく、中長期的な文化財保存修繕事業のクラウドファンディングを実施しています。

銅御殿を守る大谷石塀の修繕工事と保存活用計画策定の実施

支援募集期間:2023年9月19日(火)10時〜10月31日(火)23時

目標金額達成して終了

基本情報

銅御殿(旧磯野家住宅)

内部に入れるのは事前予約制の特別見学会のみ

特別見学会 事前予約制 参加料金3000円

10:30〜、13:30〜 約1時間

文京区小石川5丁目19−4 MAP

アクセス:東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷」駅より徒歩約3分

スポンサーリンク
シェア:
同じカテゴリーの記事 スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメントを残す