2022年9月末に外苑西通りに面した新国立競技場の大空間に、1964年の東京オリンピック開催に合わせて旧国立競技場に設置された4人の画家による11点のモザイク壁画が戻ってきました。
1964年東京五輪当時の国挙げての歓待と高揚感が伝わるダイナミックな作品の存在感は圧倒的です。
隈研吾設計の新しい国立競技場と共に是非とも足を運んでそのスケールを体感してほしい場所です。

圧巻の空間
4人の画家による11点のモザイク壁画が、コロナ禍で行われたTOKYO2020のレガシー隈研吾設計の国立競技場に設置されたという情報を得て早速見に行ってきました。
現地に到着して想像以上の作品の熱量とスケールに非常に驚きました。
そこには美術館では到底鑑賞することが出来ない圧巻の大空間が広がっていたのです。
「これはすごい!」思わずそんな言葉が口に出てしまうくらいです。
モザイク壁画の原画を制作したのは大沢昌助、脇田和、宮本三郎、寺田竹雄の4人で、いずれも昭和を代表する著名な洋画家です。

移設までの経緯
実は、ここに壁画が移設されるまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。
ご存知の通り、旧国立競技場が新しく建て替えられることになり、競技場の解体が決定しても、これら壁画11点の移設先は決まっていませんでした。
移設どころか解体・破棄することまで検討されていたのです。
旧国立競技場のメインスタンドにあった長谷川路可/ろか の壁画「野見宿禰像/のみのすくねぞう」と「ギリシャの女神像 」の2つの壁画の移設先は早々に決定していたにもかかわらずです。
(長谷川路可の壁画は現在、国立競技場の青山門のところに移設されています)
そこで、4人の洋画家の1人大沢昌助画伯のお孫さんで映像ディレクターの大沢昌史さんが立ち上がります。
大沢昌史さんは、新国立競技場に11点の壁画の移設を求める署名活動の上、国会への請願を行いました。
大沢さんと協力者の方々の活動が身を結び、一時期は破棄まで検討されていた11点のモザイク壁画が2022年9月末に新しい国立競技場に移設されたのです。

11点のモザイク壁画
前述しましたが、11点のモザイク壁画は、1964年の東京五輪に合わせて旧国立競技場に設置されました。
旧国立競技場の設計は、建設省関東地方建設局の角田栄と片山光生を中心に行われ1958年に竣工し、東京五輪前の1963年に改修されています。
おそらくその改修工事の際にこれら壁画は設置されたのでしょう。
よく見ると競技場設計段階から壁画の場所を考慮したのではなく、改修の際に後付けしたことがよくわかる痕跡が色々なところに見られます。

どうしてもこの場所を避けて設置することが出来なかったのでしょう。▲
スイッチか何かがあったようです。

上部だけどうしてもセットバックできない何か物理的事情があったようで、少し出っぱっています。▲

なぜ一部の作品の前だけ手すりがあるかというと、なんと高さ8mの巨大壁画は地下へと続いているのです。▲
この作品は2階層分の高さがあるので、吹き抜けのような空間に設置されていたのでしょう。
また、モザイクとひとことで言っても、モザイクになる前の原画の描画方法も様々で、油彩、水彩、版画など多岐に渡ります。
モザイク職人は、その原画をモザイクで表現するための技術も必要となります。
この作業のことを、モザイクに「翻訳する」と表現したりします。
通常モザイク壁画は、モザイク職人が工房で制作したものを現場に運んで設置しますが、この巨大な壁画はどのようにして制作したのでしょうか。
11点の壁画の制作工程も気になりますね。
それでは一つ一つ見ていきましょう。

圧巻の空間を動画でも▼
大沢昌助「人と太陽」と「動態」
洋画家の大沢昌助の壁画は、他の作家の壁画とは一味違います。モザイクというよりタイル壁画といった方がしっくり来ます。
というのも、一つ一つ異なるピースの石やガラスを組み合わせて画面を埋めていくのがモザイクですが、大沢昌助作品は、全て同じサイズの正方形のタイルで画面を埋めているのです。
目地の位置は、他作品と異なりすっきりとグリッド状になっています。
とはいえ、よく見ると目地を跨っている曲線や直線は、タイルをカットして表現しているのがわかります。
思うに、ここからは推測ですが、シンプルで大胆なタッチの大沢作品を細かなピースで表現すると点描画のようになり、本来の大沢作品の良さが伝わりにくいと考えたのではないでしょうか。
原画をモザイクに翻訳するにあたり、原画の良さを損なわないやり方が目地をそろえたタイル壁画だったのでしょう。

目地を通したタイル壁画にしたことで、シンプルかつ大胆な描線の構成がそのまま巨大な壁画になっている大沢作品▲
実はこの「人と太陽」設置してすぐに目の前に更衣室が増設され、ほとんど人の目に触れることはなかったそうです。
今は、くまなく全体を鑑賞することが出来るようになりました。

写真で拝見した時から、なぜ大沢作品だけ所謂「モザイク壁画」ではなく「タイル壁画」なんだろうと疑問でしたが、本物を見て納得しました。
大沢作品らしさをそのまま壁画にするには、このやり方が最良であるということなんですね。
あと考えられることは、制作時間もあまりなかったのかもしれません。
しかし、2点ともブルーのタイルにだけは白いマチエールを施していることから、このタイルは特別に焼いたものなのでしょう。
(他のタイルも特別仕様かもしれませんが)
このブルータイルのマチエールが、筆のタッチのようなアクセントとなっていてとても効果的です。
↑なぜタイル壁画だったかについて大沢昌助画伯のお孫さんから情報をいただきました。
当時、大沢昌助は、タイルの目地に沿った図柄を考えることで、色付けもしやすく遠くからもわかりやすい、劣化も防げて、メンテナンスもし易いという発想だったそうです。
それには、大沢昌助の父も兄弟も建築士だったことが影響しているようです。
ちなみになんと!大沢昌助の弟さんは前川國男建築設計事務所の所員だったそうです。
その弟さんが、前川國男が手がけた世田谷区役所を担当していた縁で、区役所にも大沢昌助の壁画が設置されているんだとか。
なるほどー!貴重な情報ですね。
旧国立競技場に設置されていた切り出し直前の大沢昌助作品の様子はこちら▼
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脇田和「躍動」「飛転」「勝利の場」
脇田和の作品は、目地を揃えたタイルと一つ一つのピースの形状が異なるモザイクの混合壁画です。
両方のやり方を巧みに組み合わせた画面は、脇田和の油彩画の温かく深い画面をそのまま表現しています。

タイルもモザイクのピースも絵画で言えば絵の具です。▲
塗り重ねられた油絵具のように見えるブルーのタイルは、目地を揃えたタイル壁画ですが、一枚一枚微妙に色が異なっていて作品に奥行きを与えています。
中央には、脇田和的な五輪が描かれいるのがわかります。その上には天使がいますね。

白いタイルは、目地を揃え背景のオレンジはモザイクになっています。▲
この作品は、完全なる抽象ですが、幾何学的な白い円と背景のメリハリが面白い作品です。
オレンジの背景の幾何学的な目地にも工夫が見られます。

この作品は、「モザイク壁画」11点の中で最も異質な作品です。▲
赤で表現されているのは競技場のトラックの形で、目地を揃えたタイル壁画で出来ています。
オリジナルなのは、背景の表現です。まるでモザイクのピースが剥がれ落ちてしまったかのように、下地のモルタルが見えています。
全面をモザイクのピースで埋めずに下地を見せちゃおう!という大胆な発想が脇田画伯のアイディアなのか、モザイク職人のアイディアなのかわかりませんが、原画がどんな画材で描かれたどんな作品だったのか想像するのが楽しい作品です。
是非、この独創的な壁画作品を現場に行ってよーくみてください。
(2022.11.11追記)この脇田和作品のモザイクは剥離でした。どうしてこのモザイクだけこんなに剥離してしまったのかわかりませんが、他と同様にこの作品も全面モザイクだったようです。
モザイクのピースが細かすぎたのでしょうか。前に設置されていた環境のせいかな?いずれにしてもこの作品が一番損傷が激しく、設置当時の姿から遠い作品だということがわかりました。
脇田和作品がたくさん観られる軽井沢の脇田美術館については▼
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寺田 竹雄「友愛」「躍進」「よろこび」「勝利」
これぞモザイク壁画!な作品は寺田竹雄の作品です。
当時、誰がどのように作家を選出したのかわかりませんが、寺田竹雄の作品だけは一番数が多く、全部で4点あります。

確実に階段が設置されていた寺田作品▲
しかしながら抽象的な表現なので、わざとコンクリートで階段のような表現をしたのかと思うほど気になりません。
本人の言葉として「短期間の制作だったので美高出身のアルバイトをのべ2000人あまりを動員して制作した」(引用元:独立行政法人日本スポーツ振興センター”旧国立競技場に設置されていた記念作品等について”)
とあります。
目地を揃えるタイル壁画よりも、異なる形状のピースを一つ一つ置いていくモザイクは、さながら細かいジグソーパズルのようで、途方もない時間がかかります。
当時、アルバイトをしたたくさんの人の手作業の集積が、この壁画から溢れ出るエネルギーやパワーの源です。

2点並んで設置されていますが、実際は別々の場所にあった作品です。▲
特に右側の「よろこび」は、ピースの数でいうと隣の大きい作品を超えるか同等くらいあるはずです。
「よろこび」は、11点の中で一番細かい、一番王道のモザイクです。

上3点は連作ですが、この作品だけ独立しています。▲
なんと作品の中にタイトルにある「勝利」の英語「VICTORY」の文字が隠されています。
そう言われてみるとVICTORYが確かにあるかも。
宮本三郎「より高く」「より速く」
抽象的な表現が多い壁画の中で、誰がどうみてもどストレートな具象作品が宮本三郎の2点です。

タイトルもとてもわかりやすい宮本作品▲
背番号の「3」が強調されているけれど、何か意味があるのでしょうか。
また、階段があったようですが、その痕跡も目に入らないくらい画面に躍動感がみなぎっています。

こちらの作品もわかりやすい。みんな走っています。
一番シンプルで陸上で一番人気のトラック競技ですね。
64年の東京五輪でもトラック競技はきっと大人気だったのでしょう。
スタジアムの歓声が聞こえて来るようです。
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いつ行ったらいい?
壁画が設置されている場所は、クローズするようなところではないので、いつ行っても鑑賞可能なのも嬉しいです。
というわけで昼、夕、夜と時間帯を変えて訪問してみました。

日中はこの通り、内部の照明が点灯していないので遠目からだとちょっとわかりにくいです。▲
でも、近づけばちゃんと鑑賞可能です。
印象派のモネの作品がそうであるように作品を最初に見るのは自然光がいいかもしれません。

一番推奨の時間は、周りはまだ明るいけれど照明が点灯する夕暮れ時です。▲
季節によって照明の点灯時間は変動すると思われます。
手前の芝生広場は、訪問時は柵が取り付けられていて中に入れないようになっていましたが、もうすぐ開放される予定だそうです。
定期的に巡回している警備員さんが教えてくれました。
芝生から壁画を眺められる日もそう遠くないようです。

夜は競技場の照明が消え、更に壁画が際立ちます。▲
どの時間帯でも、隈研吾建築に58年前に制作された壁画が並ぶ光景はため息が出ます。
それにしても、メンテナンスされたとはいえモザイク壁画の色彩の劣化のなさはすごいの一言です。
さすが、紀元前から伝わる古典的な技法だけあります。
元々設置されていた場所が、旧国立競技場バックスタンドの回廊で、あまり日光に当たらなかったのも良かったのかもしれません。
これまであまり人々に観られることがなかった壁画が、悠久の時を経て新しい国立競技場に戻ってきてくれて本当によかった!
たっぷりと満足いくまで眺め倒して来ました。
国立競技場見学ツアーと一緒に見学するのがおすすめです。▼
最後に
この11点の壁画について、移設に尽力された大沢昌助画伯のお孫さんの大沢昌史氏より情報をいただきました。
素晴らしい壁画の数々を自由に観られる機会をくださりありがとうございました。
基本情報
1964 年東京五輪のための壁画11点
外部のためいつでも鑑賞可能 新宿区霞ヶ丘町10−1 中央門と外苑門の間、ホープ軒と東京都営バス明治公園前バス停の前 アクセス:JR総武線各駅停車千駄ケ谷駅、信濃町駅:徒歩5分 |